看護師の僕が「がん」と診断された話④(セカンドオピニオン編)
セカンドオピニオンした話
かかっていた病院には皮膚科しかなく
皮膚をよりキレイに処置する専門である
「形成外科」がなかった。
「うちの科でもオペには慣れていますよ」
と言ってくださったし、本当は診断してくれた
ドクターに執刀してほしいのが本音だった。
しかし、どんな傷痕になるか聞くと
「数ヶ月で馴染んではきますよ」
と言いつつも
「少し引っ張られはしますかね」
と、いうことで要は
皮膚の歪みなくオペはできないよう。
うーん、悩む。
僕はこの病気になって、改めて
人の容姿を保ちたい願望って強いなと思う。
と同時に、ガンになったときに
それを保つ難しさも感じた。
これは乳房再建を検討したことのある
乳がん経験者の方にも共通すると思うのだけれど
「見た目より治すほうが先でしょ?」
「治るんだからいいでしょ?」
という空気を、僕はほぼ全ての医療者から感じたからだ。
これは大抵の家族の立場からもそうだと思う。
命が助かってくれることが最優先、見た目はどうでもいい。
そう思う。
その外観で生きていかねばならない、本人以外は。
頑固な僕でも一瞬は押されそうになったぐらいだから
重い病気であればあるほど、判断に迷い、後悔し、
泣いている人はきっと多いはずだ。
そんな考えを巡らせる中で思い起こされたのは
母のことだった。
母のこと、後悔したこと
僕の母も、実は40代で乳がんを患い
片方の乳房を全摘している。
彼女は
「いつかきれいに再建したい」
「いいところがあれば調べて教えてほしい」
と昔はしきりに口にしていた。
色々病院は回ったようだったけど
「技術は良いそうだけど、なんだか冷たかった、、」
とか言ってよくショボくれていた記憶があり
今も結局そのままになっている。
僕は当時あまりそのへんに関心が持てなかった。
オペについても迷わず全摘を勧めた立場だったし
ちゃんと形成外科を調べようともしていなかった。
思っていた本音はまさにこうだ。
「見た目より治すほうが先でしょ?」
「治ったんだからいいでしょ?」
僕は奇しくも同じ外見に影響する病気になって
ようやく母の気持ちが理解できた。
また、真剣に向き合わなかってやらなかったことを
強く後悔したのだった。
セカンドオピニオンと罪悪感
何ターンか会話を交わしたのち、
「やっぱり形成のほうがいいでしょうね」
と理解していただき、紹介状を書いてもらえることになった。
ありがたくもあったけれど、セカンドオピニオンというのは
お互いに気持ちいいのもじゃない。
医師からすれば
「あなたのクオリティでは満足できません」
と言われているようなものだし、
皮膚科と形成、役割が違うとはいえ、
任せてもらえないというのはどうしたって引っかかるだろう。
僕もより良い結果を求めてお願いしていることだけど
やっぱり申し訳なさのほうが強かったし
逆に言えば、その配慮ゆえに妥協している人も多いと思った。
紹介先は関係の深いらしいK大学病院だった。
しかも早くも明後日に受診できるらしい。
これはありがたいと思い、すぐに予約を依頼した。
マッハの八田先生は、告知は早すぎたけど
「先方がわかりやすいように検査データとか
全部しっかりと用意しておきますからね」
と言ってくれて、色々書類や、プレパラート(細胞の薄切りにしたもの)
を丁寧に用意し、もたせてくれた。
まるでおつかいに行くような気分さながらである。
これで何とかオペして、年内に解決できる。
そう思った。このときは。
この時点で、時は12/11。
僕が実際にオペをしたのが1/9だったから
ここから約1ヶ月も要したことになる。
どうしてそうなったのか。
真剣に話を聞かない医師
2日後、K大学病院に受診して感じたことは
「受付の対応がすこぶる悪い」
ということだった。
受付の対応はたいてい社風を反映する。
(前田調べ、エビデンスなし)
嫌な予感そのままに部屋に通されると
脂の乗っているであろう
40前後の男性医師の診察だった。
O病院の先生方が用意してくれた検査データを見て
「こういうの渡されても、うち形成だから
よくわかんないんだよなぁ正直」
「どれだけの深さで切って良いのかもわからないしね
まぁ一応先生に聞いておきますけど」
はい、不安的中。
NGワード連発。
思っても言っちゃいけないやつな。
見事に不安しか感じさせない初期対応。
結局はどの病院に行っても担当による。
これは看護師だって一緒だけど。
加えて、術式の提案は
皮膚科と全く変わらない、
ただ切って、縫うというもの。
これでは形成に来た意味がないので改めて
・人前に出ることが多いので
・相手方に気を遣わせてしまうので
・きれいに切りたいんですけど
という話をすると
医師「いや、気づいても誰も言わないと思いますよ?」
読んでくれている人の9割が思ったであろう。
そういうことじゃねーよ と。
ここまで来るといちいち指摘するのもに思えてくるので
もやもやを抱えながらも、とりあえず話を進める。
話題は淡々と手術の予約の話になっていき
たまたま枠が空いていて
週明けにはオペが可能という話になった。
これがまた悩ましかった。
オペが随分先だとか、そういうことなら
別の病院を探そうという気にもなるが
事がトントン拍子に進んでしまうと
この流れをわざわざ切る必要があるのか?
という気持ちになってくる。
この時点では植皮や皮弁形成などの話は
どのドクターからも出ていなかったし
いくら対応が悪いとはいえ
どこで切っても同じなのかもと思えてくる。
せっかく紹介してもらった病院だしな
検体もあちらの手に渡っているし
他院では年内にオペできるかもわからない。
色々考え、一旦はオペ予定を了解することにしたが
なーんとも言えない気分で病院を後にした。
妻への相談と決断
帰り道、乗り換え中に妻に電話。
事の顛末を話して、悩んでいることを伝える。
正直この病院にかかりたくはないけど
早くガンは切っておきたい。
運のいいことに段取りはトントン拍子で
ここで贅沢を言うのは傲慢にも思える。
あれやこれやと30分くらい話した後
「早く切ってくれうるのは有り難いけど、
大切にしてくれない病院に家族を預けることはできん」
という妻の男前な後押しで
結局予約を撤回することにした。
どうせダメな時はダメなのだ。
どんな仕上がりになったとしても
診断もしてくれたO病院の先生に切ってもらったほうが
諦めもつくというもの。
紹介元のO病院に経過を相談したら
新たに次の外来の予約を取ってくれた。
直近では紹介してくれた八田先生は空いていなく
生検を担当してくれた川田先生に
診てもらうことになったけど。
どちらもいい人だったので安心だ。
予約のときO病院の電話対応がすごく親身で
大変でしたねと言ってくれたのを覚えている。
辛い時に支えてもらった記憶は
ずっと残るのだなと思う。
(続く)
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【今後公開予定の目次】
K先生
セカンドオピニオンと、予定を立てられない辛さ
・はじめての「終活」をした話
ぼくは遺影を撮ることにした
・手術当日の話
心の準備ができなかったわけ
自己紹介をした人、しなかった人
実は執刀医を把握していなかった
長い待ち時間に感じたこと
この曲?地味に辛かったBGMのこと
当日に術式が変更になったこと
妻がオペ時間を知らなかったこと
素晴らしかった医師の言葉
・手術を終えて
どれくらいの不安があったのか
一連の出来事から得たもの
生きるうえで心境は変わったのか
いま、伝えたいこと
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