植民地朝鮮における識字率
識字率に関しては、色々言われていますが、朝鮮総督府が公式に識字率を調査したのは1930年の1回限りです。
全人口すら調査し切れなかった1910年に、識字率の公式データがあるわけもなく、民間レベルの推定くらいしかありません。
また、識字率と一言で言いますがその定義は様々です。
文字が読めるか、読めるだけでなく書くことができるか、書けるとしてその程度はどうか、などですね。
近代的な学校がある場合は就学率を持って識字率の参考とできますが、近代学校が出来てから間もない時期は学校教育を受けていない世代が社会の中核を占めていますので、就学率=識字率とは言いがたいです。
さらに、植民地朝鮮ならば、ハングルの読み書きを判定するのか、日本語の読み書きを判定するのか、も考慮する必要があります。
これらの条件を揃えた上で、1910年頃と1930年頃を比較できるのなら、識字率の向上云々を評価できるでしょうがそのようなデータは存在が確認されていません。
そういったことすら踏まえず、断片的な信頼性の低い数字を切り貼りして、日本がハングルを普及させたなどと主張してもデタラメとしか言いようがありません。
それらを踏まえて
「韓国の識字率が日本が介入してから大幅に上がった。」
について事実かどうかを検討してみます。
使えるのは、1930年の朝鮮総督府のデータです。
「植民地期朝鮮における識字調査(pdf)」という論文がweb上で見れますので、これが参考になるかと思います。
1930年の朝鮮総督府による識字率調査は、「カナおよびハングル識字」と「ハングルのみ識字」をそれぞれ調査していますので、データとして興味深いものがあります。
「カナのみ識字」はほぼ無視できる程度なので省略します。
また、女性識字者は一貫して低いため、男性について検討します。
「カナおよびハングル識字」者は、10-14歳の世代が一番高く30%弱、世代が上がるごとに減っていき40歳以上になるとほとんどいません。
つまり、1910年の韓国併合当時に成人になっていた人たちは基本的にカナを解さないわけです。
一方、「ハングルのみ識字」については10-14歳の世代は40%ですが、15-19歳の世代で50%、20-24歳の世代が55%で、40歳以上でも40%以上の識字率となっています。
このことから、1910年以降に学校教育を受けた者はカナの識字率は上がったと言えるでしょう。
つまり植民地朝鮮での学校教育がカナ中心であったことが示唆されるわけです。
一方、40歳以上の「ハングルのみ識字」率の高さを見れば、1910年以降の日本統治の貢献度が高いとは言いがたいと言えます。
日本統治下で教育を受けていない世代における40%の識字率は、併合以前に既に「ハングルのみ識字」率が40%程度あったことを示唆しています。
ちなみに1930年当時の60歳以上に限定しても「ハングルのみ識字」率は40%近くあります。
併合当時40歳の彼らが、1910年当時ハングルを解さなかったと解釈するのは無理があります。
普通に考えれば、1910年当時の男性のハングルのみ識字率は40%程度あったと考えるのが妥当でしょう。
女性を含めても20%程度だったと考えるのが妥当です。
それを踏まえると、1930年当時の識字率25%と言うのは日本統治が20年続いたにしてはお粗末な発展レベルと言えると思います。
その原因は、併合前からハングル識字率がそこそこ高かったにも関らず、併合後カナ教育を導入し言語的な混乱を招いたからではないかと思われます。
もし、併合以前にハングル識字率が低かったのならカナの導入はスムーズに進んだでしょう。
もし、併合以前のハングル識字率の高さを踏まえてカナを導入せずハングル一本で教育を進めていれば、1930年の識字率が25%という低迷はしていなかったでしょう。
要するに、朝鮮総督府の言語政策の失敗を1930年の統計は物語っているわけです。
識字率については、参照したPDFの論文を読んでもらえると良いかと思います。
とても興味深い内容です。
善政か悪政か、簡単に断言できるものではありませんが、当時統治下にあった朝鮮人たちが3・1運動に見られるように日本の統治に疑問符をつけていたことを踏まえると、少なくとも善政とは言いがたいと思います。
善政という結論と当時の朝鮮人の抵抗という事実は、基本的に整合しません。
ある種の人たちは、「善政という結論」が先にあるため「朝鮮人の抵抗という事実」からその結論を導くために「朝鮮人は恩知らず」という民族レベルでレッテルを貼るのですが、論理的でも誠実でもないロジックです。
私は、抵抗があった以上、悪政と呼んで差し支えない、と考えています。