アンチノミーなパラドックスに悩んでいます(笑)
タイトルありきで書き始めてしまった。きっかけは客先の上司が職場の事で不満半分・悩み半分の会話を持ちかけてきた事だ。確かにその職場は長年、若手の育成で大きな悩みを組織的に抱えていらっしゃる。日ごろ、すごく仕事のできるこの方が、すごくストレートに感情を吐露されているのを見て、ストレスの大きさを実感したと同時に人間味を感じたのです。
普段の私は、いや日常でもずっと「アルカイックスマイル」の仮面を被って穏やかで抑揚のない人間を心掛けている。内心は皆さん同様にどろどろとしている。嫉妬や自己嫌悪など負の感情が渦巻いている。しかしそんな感情は家族や親友でもぶちまけられたら嫌じゃないか?そう考えると「アルカイックスマイル」の仮面は社会人のたしなみになってしまうのだ。
私は友だちが少ない。いわゆるボッチだ。しかし故に気に病むことも少なく今のところ身近な家族や知り合いと問題のない日々を送る事ができている。問題のない日々は私の望んだ結果なのだ。
先日Netfrixで見た「架空OL日記」 ドラマ版も映画版も面白く見る事が出来た。バカリズムの過去作「ブラッシュアップライフ」もOLたちの意味のない会話にひかれて見ていたが、これらの作品に登場する等身大の彼女たちのような意味のない会話や関係性に憧れのようなものを感じてしまう。
うぬぼれている訳ではないと信じたいが、自分はそれなりの人格者になってきたつもりだった。自分なりの普通を目指してきた結果だ。しかしその帰結である現在の自分はどうやら普通ではないと気付いて、普通を志した私はやや慌てているのだ。
昔、こういう出来事があった。15年ぶりぐらいに再会した幼馴染みに地元の駅で偶然会った時だ。大学を出て社会人となった私は自然と敬語で会話をしていた。すると彼は「敬語は辞めてよ。よそよそしい。」と言うのだ。同窓会のような場でも同じような事を私は何度も言われた気がする。
推論してみると、私は普通に誰に対しても丁寧であろうと「敬語」を使う。なんなら妻にも敬語を使う。息子にだけかな偉そうな口のきき方をするのは・・・。とにかく万人に丁寧なのだ。それはそれで悪くないと思い自分を貫いてきたが、どうやら世の中のスタンダードはここまで万人に対して丁寧に接している訳ではないと分かり始めたのだが、なんら変える事はできずに歳をとってしまった・・・。
私の日常は穏やかだ。特に大きな問題はないし幸福の部類だと思う。しかしモヤモヤしてきたのだ。そう!冒頭に触れた客先の上司。とても好感のもてる方だしいい人だが、私は自然と距離を置いていた。しかし今回、その上司が私的に抱えているビジネス上は言うべきでもない不満や悩みをバカリズムのドラマ・映画にでてくる登場人物たちの様に話す姿に嫉妬していたのではないか!憧れを抱いていたのではないか!きっとそうに違いない!とこのコラムを書いていて確信に至った!
小難しく書いてしまいましたが、他人との距離感を詰められないアウトボクサーが私なんです。インファイターに憧れるアウトボクサー・・・
「あっ!宮田一郎だ!」
すごく納得がいく!因みに私は宮田君と違いブサメンだし、頭もハゲていますが、内面は宮田一郎そのものだと言える。幕ノ内一歩が好き!でも憎い!でも羨ましい!自分の非力さに絶望する!上手く自己分析が出来たので今回は終わりにしますね。そうか・・ハゲた宮田一郎だったんだ俺は・・・
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