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10年越しの記録


ヴィパッサーのリトリートに参加しようと思ったきっかけはとても些細なことだ。妻が何度か参加していて、行ってみたらと勧められたから、というのが直接的な理由だった。一言に、スピリチュアルと誰かにくくられるような生き方は望むところではないが、アート専攻の大学でヨガや宗教学や哲学の授業をあえて選択したりと、いわゆるスピリチュアルと呼ばれるものには興味はある方だったと思う。我流で適当な瞑想をしたり、こういうのは得意だろうという持ち前の負けず嫌いもあって、勧められるままに参加した。


ヴィパッサナーとは、かのブッダが生前に考えた瞑想法で、今でも多くの形で引き継がれている。Dhamma.orgでは初めての参加者には必ず10日間のコースが定められていて、食事はヴィーガンのものを1日3回。他の参加者との会話、不必要なアイコンタクトは禁止、携帯電話や本など情報源も全て一時的に没収される。細かなスケジュールは忘れてしまったが、朝4時ごろ起床して21時ごろの消灯まで、食事やシャワーの時間以外は基本的には瞑想をする。といっても、1日に数回のワークショップのような合同のセッション以外は好きな間隔で好きなように瞑想をするだけで、ずっと瞑想し続けなければいけないわけではないし、厳しい指導があるわけでもない。休憩中に森の中で昼寝をしたり、散歩したりと、規律さえ守っていれば自由である。費用は寄付のみで、決まった料金は定められていない。世界中に施設があり、自分が参加したのはカリフォルニア州のヨセミテ国立公園の近く、多くの鳥がさえずり、鹿が常に近くを徘徊するような自然の森の中だった。簡易的な宿泊施設もあったが、自分はテント泊を選択した。また施設の中には、完全に光が遮断され、人一人ちょうど座禅を組めるぐらいの閉じられたスペースをいくつも円状に内包するテンプルのような建造物もあり、時折そこも利用することができた。


そのリトリートで学ぶことができた瞑想のメソッドは大きく3つ。アナパナ、ヴィパッサナー、メッタヴァーナ。アナパナは鼻腔の下に意識を集中して自分の呼吸を観察する。ヴィパッサナーでその意識を頭の先から足の先まで全身に写し、メッタヴァーナは簡単に言うと自分の中で生まれた(親和的な)エネルギーを外に解放し、瞑想を終了する。どの瞑想においても観察が1番大切なことで、そこに意図や目的や方向を持たせない。自分の中から自然に湧き出る(もしくは消滅する)様々な思考、欲、願望を抑圧することなく観察する。


10日間、毎日様々な変化を体験した。ほとんどの時間を動かずに内的宇宙の観察に費やしているだけだけれど、身体にもその変化は謙虚に現れる。坐禅による痛みの箇所は移り変わり、ある時ひどい痛みでもう続けられないかもしれないと思っていたところは、次の瞬間にはもう全く痛くないということもある。日々湧き起こる自分の中のドラマに驚かされ続け、暇を感じたり飽きが来ることはなかった。とても落ち着いた気持ちで一日を過ごし、冷静な気持ちで自己の思考や感覚を観察できていたと思うけれど、一つだけ、夏の終わりだったこともあり、夜間は虫の鳴き声が大きくてぐっすり眠ることができなかった。いや、ほとんどちゃんと寝ていなかったという方が正しいかもしれない。のちに出てくるエピソードには少なからずこの影響があったのではないかと考えている。

7日目あたりだったように思う。まず身体の柔軟性が著しく上がっていることに気がついた。例えば、前屈をして、普段であれば痛くてこれ以上曲げられないというところから、筋肉の強張りをコントロールしながらさらに10cm、うまく行けば20cmほども伸ばすことが、安易に当然のようにできるようになった。その感覚が面白く、休憩時間によくストレッチをするようになった。次に、体の痛いところ、仕事や趣味のロッククライミングで痛めていた手足の箇所を導かれるようにほぐしたりすると痛みが消えていくことを発見した。これ自体も十分に不思議な体験だが、この頃はまだ脳と身体の仕組みの面白さに単純に感動していた。自分はそれまで頭で考えることに集中し過ぎて身体からのメッセージをきいてこなかったのだなという反省とともに、その新鮮さを喜んで受け入れた。

そして、それは最終日の最後のセッション中に起きた。(正確にはこのあと一泊して翌朝に掃除や片付けをして終了となるわけだが、このセッションを最後に会話はアイコンタクトも解禁になり、合同でのセッションも終了となる。)いつも通り瞑想をしていると、身体のゆったりと揺れるような動きを感じた。それ自体はそれまでにも何度もあったことだったが、その揺れが次第に大きくなっていき、このまま揺れていたら倒れてしまうのではと思うほど身体が勝手に動いた。その時、「leave it(任せろ)」という意味合いの、声とも言えない、ある種の思念のようなものが聞こえたような気がした。ものすごく大きく揺れていたと思うけれど、どこまで任せても身体が倒れることはなかった。その感覚がなんとも心地よく、その流れに身を任せるように、ゆらりゆらりと揺れていた。その時の感覚はなんとも不思議で、それまでの瞑想では入ったことのないほど深い意識の階層にいるような、暗い深い意識の海を漂っているようだった。自分の身体は単なるエネルギー体で、境界もなく周囲のエネルギーと溶け合い、自我の意識はその中を自由に行き来しているようだった。


その瞑想の時間が終わった時、見えるもの、聞こえるもの、触れるもの、全て同じはずなのに、何かがはっきりと違っていた。知らない間に誰かが全てをこっそりと入れ替えてしまったように、扉を開けたら見た目は全く同じ、しかし全く違う世界に出てきてしまったような明白な違和感がそこにあった。自分の中に新しい人格ができて、それが自分の身体を動かしていて、自分は一歩下がったところからそれを見ているような距離感があった。身体を動かそうと意識すればその通りに動くのだけれど、そこに微妙なタイムラグがあるような感じがした。知らないうちに身体を乗っ取られて、その事実を適当に誤魔化されているような、正常ではない何か決定的な異感がそこにはあった。

なんとも言えない焦りと、取り返しのつかないことをしてしまったという後悔をまず感じた。身体を何か得体のしれないものに譲り渡してしまったのではないかと思った。しかし、どんなにもがいても、頭を振ったり、身体を動かしても違和感は消えず、むしろはっきりとした違和感がそこにはあった。右に行こうと思えば右に行くし、止まろうと思えば止まる。しかし、何も思わなくても身体には動きたい流れがあり、委ねれば勝手に動く。お酒に酔った時や寝ぼけている時の身体の感覚にも少し似ている感覚かもしれない。しかし、頭ははっきりと覚醒していた。

この混乱を人に知られてはいけないと思った。ひとまず自分のテントまで戻らなくてはと、夜の森の中を歩き出した。進むべき方向に意識を向ければそちらに身体は歩き出した。テントに戻ったあとも、なるべくいつも通りに過ごそうと顔を洗ったり歯を磨いたりするために洗面所へ向かった。しかし、よく観察してみると、あることに気がついた。自分の身体の動きに全く無駄がないのだ。洗面所の扉を閉める時、静かに閉めたいと思えば、暗がりでよく見えないはずなのに、扉が閉まる直前まで素早く動き、直前でピタッと止まり最後は静かに閉める。歯を磨くときも、まるで本当はこう磨くんだよと教えられているように、隅々まで丁寧に綺麗に磨いた。身体を曲げたりする動作も、まるで同時に身体の強張りをほぐすようについでにストレッチをしているようだった。

身体に感じる不思議な流れは常にそこにあった。テントに戻った後、その流れに身を任せてみることにした。すると、まるで知識も経験もたいしてない過酷なヨガのような動きを延々と行いだした。どれくらいの時間そうしていただろう。1時間以上だったかもしれないし、30分ぐらいのことだったのかもしれない。信じられない身体の動きだったが、この頃にはこの現象に少し面白みを感じていたように思う。身体の本来の使い方を教えられているような気がした。


それまで疑いもなく持っていた「私」という認識、自分の自由意思のようなものは単なる幻想で、私は単なる傍観者なのだと思った。そこには全てあらかじめ定められた流れがあり、その通りに全て動いている。そして自分はただそれを見せられているだけだったのだと思った。普段は融合しうまく隠されていた真実が、何かの拍子でズレが生じ露呈されてしまったのかもしれない。「私」という認識は一歩後ろに下がり、自分の皮膚の内側と外側の違いは曖昧になり、自分の身体は世界の一部になってしまった。あるいは元々そのようにできていたことに改めて気づいただけかもしれない。自分の身体に身を委ねると、世界から求められていることを身体が知っていて、その場その時の最適解をどこまでも必然的に身体が行うことができる気がした。


漠然とした不安と焦りと高揚感で、その日もなかなか眠れなかった。相変わらず虫はけたたましく鳴いていた。身体の違和感はまだしっかりと残っている。寝たのか寝ていないかよくわからない虚な意識の中で、ガサゴソという音が自分のテントのすぐ近くで聞こえた。何か大きな動物が(おそらく鹿だろう)自分の寝ているテントに少し接触したのかもしれないと思った。尿意を感じたので外に出ると、テントの前に置いていたはずの自分のサンダルが見当たらなかった。不思議に思ったが、ついさっき聞こえた接触音は、もしかしたら動物がサンダルを悪戯に持って行ってしまった音かもしれないということに思い当たった。裸足で行こうかとも思ったけれど、そこで、今の自分の身体に身を任せたら、どうなるのだろうと思いついた。身体の動きたい方向は今も感じる。自分の意思で動かずこともできるし、身を委ねれば勝手に動く。月明かりしか見えない暗い森の中、力を抜くと、身体は迷いもなくスタスタと歩き出した。10mほど歩いたところに自分のサンダルの片方が当然のように落ちていた。続けてまた5mほど歩き、もう片方も迷いなく発見した。その必然性がどこまでも気持ち悪かった。そこにはなんの疑問もなく、自分の身体にこんなの当たり前だよと言われているようで、気持ちが悪く怖かった。見上げると木々の隙間から満月のような丸い月が見えた。


気づくとそのあと少し眠ったようだった。目が覚めるともう外は明るくよく晴れていた。10日間の瞑想キャンプは今日で終わり、自分は家に帰る。しかし、身体はもう自分だけのものではなかった。違和感は、薄れるどころか、睡眠後のはっきりと覚醒した頭でも、間違いなくそこにあった。昨晩の最後の瞑想のあとに、他の参加者との会話は解禁されていたが、誰かにこのことを話す気にはなれなかった。人と会話をする時も、身体は勝手に喋っていた。英語でつまづいたりすることもなく、どこまでも滑らかに喋るべきことを滞りなく喋っていた。気持ちは比較的穏やかではあったけれど、これまで身体のことを置き去りにしていたという反省のような気持ちと、なんとも言えない世界への感謝のような気持ちと、もう元には戻れないのかもしれないという焦りの気持ちが混在していた。

食事をしていても、片付けや清掃をしていても、自分の意思で動かしたり、身体に任せたり、慣れない感覚は続いた。食事は、これまでも毎日続けていたことだったのでまだ勝手がわかっていたが、片付けや清掃は初めてのことだったので、現状の把握と自分のコントロールの両立はとても大変だった。刺激が強すぎてだんだん意識が朦朧としてきていた。周りには人がいて、10日間禁止されていた会話から解放され皆よく喋っていた。そのうち自分がおかしなことを喋ったり、したりしないかと不安だった。頭がフラフラと揺れているような感覚の中、身体には相変わらず動きたい流れがあるように感じた。そんな中、身体が向く方向に順番に目を向けていくと、なんだかそれが何かのメッセージであるような気がしてきた。身体が自分に何かを伝えようとしているのか、自分で自分の思考をまとめようとしているだけなのかわからない。けれど、紛れもない真理がそこにあるような気がした。その真理をいま言葉を使って伝えることはできない。感覚としては身体に残っている。この後、身体はおかしくなり、長い暗い夢と現実の間を彷徨うことになるわけだけれど、いずれはそこから正常に戻ることも、そして、それはこの真理を生涯をかけて伝えていくためだということも、その時に言われたような気がした。だから大丈夫だと。任せてみろと。


そして、そのような思念の中、強い力に後ろから引っ張られるようにして、白い光の中に吸い込まれるように、その場で後ろに倒れた。




それからの記憶は断片的で、視覚・聴覚的な記憶と、自分の感情や思念が、混在するように自分の中に残っている。理性は欠落し、まるで夢の中にいるようなというのが、自分にとってはしっくりくる表現なのだが、この倒れてから先2週間ぐらいは、いつ睡眠をとりいつ覚醒していたのかわからない状態で生きていた。残っている記憶は自分の思う限りの現実のものだと認識しているが、突然自分が思ってもいない行動をとったり、喋ったり、喋っている最中に突然意識をなくし睡眠状態に入ったりと、混乱を極めていた。

はじめに倒れた後、何度も後ろに極端にそり返るように痙攣していた。もうこれで終わるのだとその時は思っていた。自分のこれまでの人生はここで終わり、単なる死とも違う何かの終わりが来るという妄想の中にいた。周りにいた者がすぐに気づき救急車を呼んだ。救急車に運ばれ発車する前に、それまで施設に預けていた自分の携帯電話を誰かが持ってきて妻に電話を繋いで渡してくれた。その時、繰り返し謝っていたことを覚えている。こんなことになってしまって申し訳ないと。もう全て終わりだと。なぜか自分の首が取れる様を想像していた。暴れるからという理由で救急車では拘束されていた。固定された腕が痛く、隊員に緩めるように頼んだが、「お前みたいな嘘つきは演技でなんでもやる。注目してほしくて全部やってるんだろう」と言われた。もちろんそんなつもりは毛頭なかったけれど、人にわかってもらいたいという欲求を拒む象徴的な存在のような気がした。思春期の頃、自分はよく父に自分のことをわかってもらいたいと思っていたことを思い出した。

近くの病院に到着し処置してもらっている間も断続的に暴れていた。あまりにそり返るから、映画のマトリックスに倣って「ネオ」というあだ名で看護師たちに呼ばれるほどだった。看護師の一人に綺麗な若い女性がいて、何かの衝動に駆られるようにその人の胸部を明らかにいやらしい手つきで触ってしまった。自分ではどうすることもできなかった。自分にとっては夢の中で卑猥な想像をしているようなものだった。それをきっかけにまた拘束されることになった。意味がわからず、まもなくやってくる何かの終焉に怯えて暴れていた。医師たちは、きっと何かしらのドラッグの影響であろうと様々な検査を繰り返した。医学的には何も理由がわからない中、誰かが会話の中で「delusion(幻覚)」という言葉を言った。それを聞いた瞬間にふと我に返って、身体の緊張が解けた。まるで何かの催眠の暗示にかかっていて、その呪縛を解く合言葉でも言われた被験者のように。

LAからその病院まで3~4時間車を運転して妻が到着した頃には、先ほど胸を触ってしまった看護師とも普通に会話をすることができるほどまで回復していた。後ほど妻から聞いた話では、この時もまだまだおかしな言動をしていたらしいけれど、自分ではもう元に戻れたと思っていた。高揚感で浮き足だし、全身の感覚は通常よりも敏感ではあったが、あの夜に感じた身体の違和感は消えていた。

それから妻と車でLAの家まで帰り、一晩よく眠り、普段の生活に戻るべく、最後の休日を妻とのんびり過ごしていた。身体の感覚は研ぎ澄まされ、世界中が輝いて見えて、ただ近所を歩いているだけでも、足の先から頭のてっぺんまで全ての感覚が新鮮に感じられた。しかし、この間もかなり言動はおかしかったようで、空気を読むということが全くできず、どこまでも自分に酔った、言ってしまえばとても気持ちの悪い人間だったと思う。妻も瞑想キャンプの経験は何度かあったので、ある種の興奮の中にいるのだろうと最初は思っていた。しかし、不自然な状態が長く続くあまり、だんだん妻も疲れてきていた。そういう妻からの嫌悪の態度が垣間見えると、過剰に反応した。そして、いつしか妻が諸悪の根源で、妻こそが全ての終焉をもたらすのだという幻想の世界の中に入っていくようになった。今思い返せば、それは自分の捻れた思念が投影されたものだと認識することができるが、その時は妻のちょっとした表情が悪魔に見えたり、自分の首を切り落とそうとしていると心底思い込み、怯え混乱していた。自分の記憶は断片的だが、まるで映画のエクソシストに出てくる取り憑かれた人間のようだったと当時を思い返して妻は言う。暴れ出すと手に負えなくなり、身の危険を感じた妻は再び救急車を呼んだが、救急の検査では何も異常を診断することができず、脳神経科を含む大掛かりな検査を施すために3日間入院することになった。


入院している間、3日という規則的な時間の流れは全く把握できていなかった。いつ寝ていつ起きたのか、どれが夢で現実なのかよくわからない。友人が見舞いに来てくれたり、その時に訳のわからないことを言ったりしたりしていたことは現実に起こったこととしておぼろげに覚えている。しかし、言葉を声に出すと、なぜかそれは間違った形でしか人に伝わらないことに気づき、言葉で喋ると言うことができなくなってしまった。妻にスケッチブックを持ってきてもらい、絵で描いて会話をするようになった。入院中よく絵を描いていたが、それまで描いていた絵とは似ても似つかない乱雑な子供のような絵を描いていた。そんな激しい混乱の中で、こんな外の見えない病室ではなくて、自然に囲まれたところで穏やかに妻と過ごしている世界を強く望み思い描くようになった。CT、MRI、EEGと精密検査を進め、髄液検査を行う際に摂取した麻酔の副反応で激しく嘔吐し、自力で歩行できないほど衰弱し切った身体で退院し帰宅した。それからもしばらくは思うように食事は取れず、ベッドで寝たきりの生活をしていたが、あまりの衰弱にもう暴れ出したりすることはなかった。その間も、いつ寝ていつ起きて、という1日の時間の経過は全く把握できず、気がつくと最初に倒れてから3週間が経過していた。

自分が生き残ったことで誰かが死ぬのではないかと、しばらくのうちは怯えていた。車に乗ることを極端に怖がり、妻が外出すると妻の身の安全が心配で仕方がなかった。体重は20kg近く落ち、頬はげっそり削げおちていたが、かろうじて液体の食事を摂取できるようになった頃には、大きな混乱も、変な身体の違和感も、自己陶酔したおかしな言動も、幻覚も全て無くなっていた。ただ生きるのに精一杯で、味噌汁のおいしさに感動した。


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それから10年以上経ち、あの不思議な身体の違和感が戻ることはもうない。あの時ほど深い階層まで降りていくということはないが、たまに瞑想もする。ある程度日常的にできると集中力は高まり、自分の思わぬ感情や思考を認識する手助けになっているが、うまく集中できない時の方が多い。寝ている時にあの時の混乱がよみがえり、寝ぼけて慌てることはよくあるけれど、目が覚めて現状を把握できれば理性は戻ってくる。
果たしてあの現象はなんだったのか。脳神経科や精神科にはしばらく通っていたが、医学的には結局何もわからなかった。一時的な症状としては統合失調症に似ている部分もあったが、一時的すぎる。話を聞いた友人が勧めてくれた動画が、少し自分の体験に似ていると感じた。それは、脳科学者が自己の脳卒中で脳の一部機能が欠落し、その時の洞察をTED Talkで解説したものだった。脳のある部分は直線的で過去の記憶を蓄え、「私」という自己を認識し未来に投影する。またある部分は並列的で、世界や宇宙の今を一つのエネルギー体として認識し、みんなで一つということを感知する。その科学者の自己認識の機能が発作により停止してしまった時の世界は、瞑想により全てとつながった世界に酷似していた。実際、何十年と瞑想をやっていると、そういう不思議な現象が起こるという体験談もいくつか目にした。真実はわからない。全ての生命体はその中に宇宙の真理を内包している。しかし、それは自意識と共存させるにはあまりにも刺激が強い。自己を抑制し、全体のエネルギーを長時間受け続けるのは、少なくとも現代の社会の中では難しいことなのかもしれない。何も断定することができない中で模索し続けるしかないのだろうと思っている。身体がある程度回復した後もしばらくは不安と混乱は残り、また壊れかけてしまった妻の信頼を取り戻すためにも、いくつかの精神科や脳神経科をめぐったが、最終的には全てをそのまま受け止めてくれる先生に会って、あぁそうか、自分は分析されたいわけではなく、ただこのことをありのままに受け入れて欲しかったのだと思い至った。


妻には本当に怖い思いをさせたし、当時の雇用先にも大きな迷惑をかけた。友人や家族に支えられることでやっと乗り越えることができたこの体験を簡単に良かったことだと割り切ることはできない。できればもっと違う形で、もっと穏やかな形でこの変化を迎えられたらと思う。しかし、きっとその時の自分には必要なことで、必然だったのではないかと思っている。(もう起こってしまったのだから、当然そうなのだけれど。)これをきっかけにそれまで10年近く勤めていた仕事をやめ、個展を開催し、15年近く続いていたアメリカでの生活を終え、日本に帰国した。帰国後独立し、それまで割り切っていた仕事のためのイラストと、自分のために描く絵の世界がつながった。妻との間に子供が生まれ、彼の過酷な生後の病気も乗り越えた。あの入院中に思い描いた穏やかな世界に、倒れる前に大丈夫と約束された世界に、今も生きている。

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