なぜ創作を後押ししたいのか
2020年は「文化は不要不急なのか?」を突きつけられた年でした。
また、わたしが勤めるnote社のミッション「だれもが創作をはじめ、続けられるようにする。」について、改めて考えなおす必要性を感じた年でもありました。
このタイミングで、2021年に向けて「自分がなぜ創作を後押ししたいのか」を、あらためて、文章でまとめておきます。
はじめて小説を書いた時のこと
はじめて創作の価値に気づいたのは、第一作の小説を書いた、大学2年生の時。当時わたしは、海外へ短期留学して帰ってきた恋人が浮気して戻ってきて、とても落ち込んでいました。
何よりも辛かったのは「鬱屈した気持ちのやり場のなさ」です。怒り。劣等感。浮気相手への恨みつらみ。そんなことを悶々考え続ける自分に比べ、まわりの人間は、なんて輝いているんだろう、と思っていました。
そんな時、ある講義で小説を書く課題が出されました。わたしは、いまの気持ちを小説にしてみます。すると、不思議なことに、手が勝手に動いていくような感じで、目の前で作品が出来上がっていくのです。
青年は、月の白い光から逃れたくて、自分の影をみながら、うつむきかげんで歩きます。しかし、月は容赦なく青年の背中を照らし、足元の草も光を反射して、青年の体を照らすのです。光はいまや、青年の歩く空間を、ふかく、ひろく、満ち満たせていました。
魔法を目にしたようでした。何の役にも立たないと思っていた自分の暗い感情が、作品として昇華されていく。それを目の当たりにして、うれしかったり救われたというよりは、どこか不思議に感じたのを覚えています。
以来、わたしは自分が抱え込んでいた感情を取り出して、いくつか作品をつくってみました。ネガティブな感情や心の傷。それらを作品にすることは、意外にもたのしいことでした。ひとつ、またひとつと、自分の分身が、色々なかたちで、世の中へ生まれ出ていくのです。しかも、うつくしいかたちで。
自分のありのままを肯定できるような瞬間でした。気づくともう自分は、ある種の光を生み出す側になっていました。
創作は世の中を変える
とかくこの世の中は、明るくて、わかりやすく、役に立つものが目立ちがちです。熱い少年漫画。美人モデルのポスター。起業家のSNS。逃げ場のない光は、わたしたちを容赦なく照らします。
しかしそれらは、単なる光ではありません。作家それぞれが自分の闇を昇華させ、なんとか世の中を前にすすめようと、もがきつづけてつくった作品です。創作とは、そういったものをつくる営みです。
ヨットは急な横風や向かい風さえも、帆で受け止めて推進力に変えます。創作もそれと同じ。ネガティブな感情や、困難な状況や、不運。人間は自分のコントロールできないさまざまな課題を、創作という営みで受け止めて、生みの苦しみを経て、世の中が豊かになるように還元してきたのではないでしょうか。
「おもしろさ」と「うつくしさ」を増やしたい
道端に落ちている石ころ。たいていの人にとってそれは、なんの意味も持たない、つまらないものかもしれません。
しかし、地質学者は、その石ころの成分からその地の成り立ちを読み解き、未来の地球のために論文を書くことができます。
画家は、数千万年の歴史のなかで削られた石ころの微妙な形状にインスピレーションを得て、魂を込めて抽象画を描けます。
子供は、その石ころを広い川に向かって、どれだけ遠くに投げられるかで遊び、自分の日常をたのしくできます。
例えば道端の石ころに折り畳まれている「おもしろさ」や「うつくしさ」をひらいて、世の中にあらわすこと。そのすべては創作です。
小説を書くことはもちろん、鼻歌を歌いながらたのしく家事をすること、チャットに絵文字をつけてみること。なんでもいいのです。世の中をより豊かにするための工夫、努力、実験、おちゃらけ、気遣い。それらは魔法のように、世の中を彩ります。
それでも、「不要不急」な「文化」というものを、世の中は価値を感じづらい
そこに落ちている杖を拾って一振りすれば魔法が使えるのに、道行く人は単なる枝だと思ってぱきりぱきりと踏み折っていく。一度創作の価値を知ってしまったわたしには、世の中がそんなふうに見えてしまうことがあります。
だからわたしは、創作を後押ししたいです。創作が生み出す「おもしろさ」や「うつくしさ」を、世の中にもっと組み込みたいです。その気持ちは、これから一生変わらないだろうと思っています。
2021年も、創作のために、やるべきことを地道にやっていきます。
※この記事はnoteのみんな Advent Calendar 2020の参加記事です。
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