![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/87623349/rectangle_large_type_2_9ae8b6e86e91158fc1b5c1b38c69ca6d.jpeg?width=1200)
パソコン御三家 - Apple、PETとTRS-80
さて自分が使っていたという理由で延々とApple][のことばかり書いてきましたが、パソコン御三家の残り2つであるコモドールPETとTRS-80のこともまとめておきます。
まずはPETから。Apple][と同じ頃にリリースされ、ディスプレイやカセットテープも本体に内蔵されていて、電源を入れるとBASICが起動された状態になります。文字通り買ってきてすぐに使えるパソコンとして作られていました。ただし画面はモノクロで、グラフィックもJIS罫線の如く、あらかじめグラフィックとして表現できるようなフォントで実装されていました。さらに悪評が高かったのがキーボードで、どういう訳かフラットで方眼紙状に並べられたもので、最初から10キーまで付いていたものの、使いにくいことこの上ない代物でした。メモリは4Kまたは8KですがROMに高機能なBASICインタプリタが用意されていたので、カセットテープの時代には充分と考えられていました。
![](https://assets.st-note.com/img/1664089991960-0omnzoc7hp.jpg?width=1200)
CPUは6502で、これはAppleと同じではあったのですが、高解像度グラフィックが無かったこともあり、さほど遅さは感じませんでした。特筆すべきは完全なスクリーンエディタで、Appleと異なり、カーソル移動をしてリターンキーを押せば、その行はメモリに取り込まれ、キーボードバッファにどんな文字が入っているかなんて意識する必要はありませんでした。確かにパソコンのあるべき姿を示した製品ではあると思います。
PETは使いやすく、その名前の通り愛される存在ではありましたが、残念なことにキラーコンテンツがありませんでした。Appleのように高精細なゲームをすることもできず、操作も使いにくいキーボードですから、どうしても物足りません。開発元のコモドールは、この後、パソコンを2つの方向に分けて発展させることにしたようで、PETはCBMシリーズと名前を変え、キーボードを普通のものにし、多くのメモリをサポートし、初めから2台セットになっているフロッピードライブもリリースして、ビジネス用途への展開を狙います。ゲームに関しては安価なVICシリーズを発売して、ホームユースに売り込んでいきました。
この頃になると、日本では既に多くのパソコンが発売されるようになっていたので、コモドールの存在感は急速に薄れていきました。
PET 2001
PET 2001
業界に痕跡を残して消えたメーカー マイコンがブレイクしゲーム市場を掌握したコモドール
コモドール
2023-1-5 追記
マニュアル見つけました。
http://dunfield.classiccmp.org/pet/pet2001.pdf
さてTRS-80にいきましょう。こちらはキーボードに見える本体と外付けの専用ディスプレイという構成で、専用のカセットレコーダも同梱されていた気がします。CPUはZ-80で2M弱で駆動していました。メモリは当初は4Kしかなかったものの、すぐに16Kに増やされたものが出ました。やはり画面はモノクロで、1文字を分割したブロックを表示するフォントによってグラフィックのような表現が出来るというのはPETと同じようなものでした。
搭載するBASICインタプリタは4KのLevel1と12KのLevel2がありましたが、Level1と言っても実数はサポートされていてAppleのように整数しか使えないということはありませんでした。このLevel何とかというのは日本製パソコンでも良く出てくるのですが、同じシリーズ内のバージョンのようなものでLevel2であれば、どういう機能を持っているという意味にはなりません。おおよそLevel1はTinyBASIC相当で、Level2がいわゆるフルスペックなBASIC。何がしかの拡張機能が備わっているのがLevel3だと思えば、そんなに間違ってはいないとは思います。
![](https://assets.st-note.com/img/1664090136868-xANDApSDYE.jpg?width=1200)
TRSは最初はホームユースを狙っていたようで、コストを抑えて普及させることに力を注いでいたようです。機能としてはいかにも標準的で、これといった目玉もありません。エディタもいわゆるBASIC標準なもので、MS-DOSのEDLIN的な少々使う人を選ぶもので、内容を修正するには編集するよりも打ち直したほうが楽かもしれないというものだった記憶があります。
ただ安価である効果は大きく、TRSの為に多くのソフトが開発されました。日本ではちょうど、このターゲットにTK-80BSがいたのが災いして、ホビーユースには響いていなかった気がします。その後、ビジネス用途への展開もDOSが不十分でフロッピーの普及が遅れ、モデルチェンジした後にようやくCP/Mが使えるようになって巻き返した感じがします。
そういえば物理部の部室にはTRSが置いてあって、昼休みなどにそれぞれが勝手にプログラムを打ち込んでいたような覚えがあります。いちいちカセットからプログラムを出し入れするのも面倒なので、俺は行番号5000から9999までを使うとか言って、電源を入れたまま共用していたような記憶があります。16Kもあればいくつもプログラムを入れても大丈夫ですしね。
TRS-80
業界に痕跡を残して消えたメーカー 激安PCで市場を席巻したTandy RadioShack
いずれにしてもPET、Apple][、TRSという御三家は憧れのマシンたちでした。その頃はTK-80BSがせいぜいでしたが、COMPO-BSが登場し、ベーシックマスターやMZ-80K、そしてPC-8001が登場してようやく日本のパソコン時代が始まりました。
ヘッダ写真も2018年にシリコンバレーのコンピュータ歴史博物館を訪れた時に撮ったものです。
いいなと思ったら応援しよう!
![kzn](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/111925158/profile_dffba6e25229ee04f46397fb91bbfc20.jpg?width=600&crop=1:1,smart)