JR-200と300 - ナショナルブランドのパソコンたち
そうそうナショナル、今のパナソニックのパソコンたちです。最初の機種であるJR-100については、以下の記事に書きましたが、なかなか続きにいけないでそのままになっていました。
JR-100 - ついにNationalも登場
JR-100が発売されたおよそ1年後の1982年末に、大幅にグレードアップされたJR-200が発売されました。お値段もグレードアップされ安価とはいえ普通のパソコンになりました。今度はカラー表示もサポートされ、ユーザー定義文字も増えてセミグラフィックも使えるようになりました。これで一般的なパソコン向けのゲームには充分です。残念なことは相変わらずキーボードがチープなままで、この手のパソコンでは間違ってもブラインドタッチなんてするものではないという認識だったのかもしれません。
ナショナルがMSX以前に発売していたパソコン「JR-200」
JR-200
正直、当時はナショナルのパソコンに興味は無かったんです。パソコン雑誌などでも目立った取り上げ方もされていなかったんすね。日立以外は猫も杓子もZ80を採用している中、今更6802ですかぁというのもありました。1982年といえば既にPC9801も発売され興味はMS-DOSに向かっていた頃です。価格的にもソードのM5やトミーのぴゅう太ほど攻めていませんでしたし。もっとも、この機種が初めてのパソコンだったという方をそれなりに聞くので、やはりナショナルのブランド力は大きいものだったのかもしれません。
パソコンの歴史1982年
家庭用パソコンの歴史~1982年発売~
大幅な機能アップをしたのでJR-100との互換性も無く、後発故にソフトも揃っていませんし、もうBASICが使えればパソコンというのは通用しません。ゲームであるとかビデオ端末といった「何をするのか」が求められ始めていた時代です。出してみてようやく納得したのかナショナルは、この後MSXに参加します。とはいえ独自技術を保つ必要があったのか、1984年にはJR-300が発売され、この機種はJR-200との互換性もありました。
そう言えばナショナルからは、マイブレーンなんていうのも出ていたことを思い出しました。MSXの次には富士通と組んでPanacomMを出し、その後PC互換機の時代になって、ようやく一定の地位を築いた印象があります。「2番手の松下」とも言われていた頃なのですが、パソコンの世界では2番手になるのも大変だということを痛感していたのかもしれません。
JR (コンピュータ)
National JR-200 デモンストレーション
ヘッダ画像は、月刊アスキー1983年2月号に記載された広告(部分)