SANYOも頑張っていた - PHCシリーズ
残念ながら今はパナソニック配下になってブランドとしては消滅してしまったSANYOブランドの三洋電機ですが、パソコン黎明期には会社としても絶好調で、いろいろな挑戦の跡が残っています。あまり知られていないのですが、1979年にはPHC-1000という業務用PCを発売していました。価格も本体だけで70万とかだったので、見たことがある人すら知らないのですが、スペックを見る限り、なかなか正攻法な作りだったようです。
SANYO PHC-1000
仕様一覧:PHC-1000
その後、1982年にホームPCとしてPHC-10、PHC-20、PHC-25、PHC-8000を発売し、パソコン業界への華々しい進出を図りました。
PHC-10
PHC-20
PHC-25
PHC-8000 (WEBページのタイトルは誤りかと思います)
価格は10が24,800円、20が47,800円、25と8000が69,800円でした。普通は同じシステムのメモリの量を変えたり、キーボードなどのパーツをローコスト化するなどして価格差をつけるのですが、これらは互いに互換性もなく、どうして同時にこんなにいろいろなPCを出すことにしたのかはわかりません。それぞれの機種をよく見ると、いずれも参考にしたPCが想像できるのですが、いくらなんでもここまで徹底した二番煎じを成し遂げたのは脱帽です。ただこの段階でホームPCは必ずしもテレビの前で使うのではなく、勉強机でも使える必要があると思っていたフシがあるのは、さすが家電屋さんの先見の明なのかなぁとは思います。
PHC-10
PHC-20
PHC-25
正直、上の方の誰かが「ウチもパソコンを出すんだ!」と号令をかけて、出来たものを片っ端から並べてどれが売れるかやってみたという感じで、結果、どれも売れなかったというオチだったのではと思います。その証拠にこれらの機種は雑誌の記事も見つからず、広告にもほぼ登場していません。パソコンショップの広告に出てこないあたり、どこまで売る気でいたのかすら心配になるほどです。オークションなどでも見かけることも少なめです。いったいどれだけの数を売ったのかはどこを探しても見つかりません。
PC-6001とよく似たカラーリングの小型パソコン「SANYO PHC-25」
ということで、どうやらパソコンビジネスにはソフトウェアの囲い込みが必要なんだということを、これでやっと気がついたのか、MSXの話が出た途端、渡りに船と乗っかることにしたようで、多くの機種をリリースして一定の存在感を示すことになりました。MSX機については、またの機会に。
ヘッダ画像は、ようやく見つけたハンドヘルドPCであるPHC-8000の広告(部分)。
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