FM-8とバブコム80
1981年といえば和製パソコンの世界では圧倒的なNECの力にシャープが挑み、日立も68系の雄として頑張っているという状況だったと思います。パソコンというジャンルが確立されつつあり、次の段階へ進もうとしている時代でした。
それまでのパソコンに足りなかったもののひとつにグラフィック機能があります。Apple][とベーシックマスターL3を除けば図形文字を使ったグラフィックが出来るだけで、表現上の制約もありますし、そもそも解像度が足りません。
もう一つが高速な補助記憶装置です。データの読み書きはカセットテープが主流で、市販ソフトもカセットで流通していました。フロッピーディスクはとても高価で本体よりも高いことも普通でした。
大型機を持っていることを考えれば、いつ富士通が参入してくるかは時間の問題だとは思っていましたが、遂に5月にFM-8が登場しました。
FM-8
CPUには6809が採用されました。640×200ドット8色カラーのテキスト画面とは独立したグラフィック機能を備え、この画面のためにもうひとつの6809が使われているという構成は衝撃的でした。もちろんフロッピーディスクを扱うための装置も接続できますが、バブルカセットと呼ばれる磁気バブルメモリを内蔵できるようになっています。
懐パソカタログ 富士通 FM-8
FM-8の発表と同時にシステムズフォーミュレート社から、ほぼ同じような外見と構成のバブコム80も発表されました(グラフィックに関しては簡素化されています)。こちらはビジネス用途を前面に押し出していて、CPUにはZ-80A(4MHz)を採用し、OSとしてはCP/Mを想定していました。
謎のマシンBUBCOM80
Bubcom80って
バブルメモリという着想は良かったのですが、装置は安価にできたものの爆発的に普及し始めたフロッピーディスクに対し、あまり売れなかったバブルカセットの単価があまり下がらず、メディアはたくさん使うものですから、高く付くということになって、誰も使わなくなってしまいました。その意味でバブコムは他にもたくさんあるCP/Mマシンに対しての優位性が無くなってしまいました。それだけではないのですがシステムズフォーミュレート社も無くなってしまい、このマシンはバブルメモリと共にひっそりと消えてしまいました。
これらはいずれも富士通が製造しており、バブコムの影響はFM-8の方にも見られます。バブルメモリが拡張できることはもちろん、Z-80拡張カードを刺すことでCP/Mを使うこともできました。後には8088カードも用意されCP/M-86にも対応できるようになりました。
富士通が生んだ衝撃のマシン「FM-8」
富士通のパソコン40年間ストーリー【1】第1号マシン「FM-8」の舞台裏
さらに、当時はそれほど使われることも無かったのか、あまり話題になった記憶はないのですが、漢字フォントが別売のROMで供給され(JIS第1水準のみ)、ようやく漢字を扱うことが出来るようになりました。
グラフィック画面がサブCPU側で行われるために、ゲームを移植するにはなかなか面倒なのと価格の問題だけではなく本体の供給が最初は限られていたので、ホビー向けには人気がありませんでした。ROMに搭載されたF-BASICはマイクロソフト製のもので、もう他の選択肢はありませんでした。
F-BASIC
BASICインタプリタもかなり肥大化しつつあり、拡張された命令に関してはディスクから読み込んで使われるようにもなり、かなりのメモリ空間を占めるようになりました。FM-8では広大な空間を占めるグラフィック用ビデオメモリをサブCPUに追い出したために、プログラムで使えるメモリの量は確保されていました。パソコンの標準的なあり方は見えてきたものの、そろそろ8ビットCPUの限界が薄っすらと見えてきた時代です。
FM-8(1981年)
【富士通】 FM-8(エフエム エイト)
FM 8
そういえば、この頃から広告で芸能人を使うようになりました。FM-8のイメージキャラクターは伊藤麻衣子さん(現在の表記は「いとうまい子」さん)でしたね。この方、あまり芸能人らしくない経歴の持ち主で、最近ではロボット関連のお仕事もされており、少し前にその手のイベントではじめて生で拝見しました。実は同い年なのですが、相変わらず若くてお綺麗なのにはビックリしました。
いとうまい子
ヘッダ画像は「うぃき野郎」さんの以下の写真を使わせて頂きました。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Fujitsu_Micro_8.jpg