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はじめてのインターネット - プロバイダ黎明期
internetじゃなくてjunetだった
ではじめてのインターネットへのアクセスしたことを書いたのですが、いわゆる当たり前のインターネットに、はじめてプロバイダを通して接続したのはリムネットでした。
リムネット
リムネット(公式)
現在の運営会社になったときのニュース
まだインターネットに接続するためのプロバイダというのが出来たばかりの頃で、選択肢としてはリムネットかベッコアメくらいしかありませんでした。
この時代のネット接続は、まだアナログモデムを電話回線に接続して、ダイアルアップするもので、パソコンからインターネットに接続するには、シリアルポートから通信ソフトを介して、PPPというプロトコルで接続していました。PPPが走ることで、プロバイダからIPアドレスがパソコンに割り振られ、TCPなどが使えるようになるという仕組みです。
モデム
このPPPというのが、それまでのパソコン通信とは少し違うところでした。パソコン通信の場合は、あくまで端末としてサーバに接続しているだけで、IPアドレスが振られるということもなく、パソコンはあくまで受動的な立場でした。PPP接続では(接続している間だけ)IPアドレスが振られるわけですから、接続しているパソコン同士で通信することも出来るわけで、ウイルスなどの感染のリスクが出てきて、ファイアウォールの設定などで悩むようにもなりました。
ダイヤルアップ接続とPPP
またプロバイダは、インターネットに接続することも大事でしたが、プロバイダが用意するメールアドレスを持ち、メールサーバへのアクセスが出来ること、それからプロバイダ配下にホームページを作ることが出来るというのが大事なことでした。
そのためにプロバイダのサーバには端末として接続することも出来て、リムネットに関してはサーバにログインしてシェルを使うことも出来ました(これはベッコアメも同様)。ホームページは自分のホームディレクトリの下の特定のディレクトリに ftp でファイルを上げるという UNIX 丸出しの使い方でした。またCGIと呼ばれるプログラムをホームページの機能として使うこともできました。
プロバイダのサーバでホームページを公開するので、個人のホームページのURLには、”~”で始まっているものが多かったのですが、これはユーザごとのホームディレクトリの下にファイルがあるよという意味だったんですね。
しかし、他の用途に使われていなかったからこそ選ばれた”~”という記号ですが、普段使ったことがない人も多かった上に、キーボード配列の種類が違うと、この記号のある場所が大移動するので、どうやって、この文字を入力してよいのか戸惑う人の多かったこと、多かったこと。詳しい人は記号を探すより%7Eと打ってと説明する始末でした。
UNIXをご存知であれば説明はいらない話なのですが、(複数のサーバで同じディスクに見えるようにしていることもありますが)同じサーバにログインしているユーザのホームディレクトリは、(大抵は読み出しのみですが)互いにアクセスするが出来て、他の人が作ったCGIを借りて使うなんて言うことも出来たのです。こうなると出来る人が集まっているサーバに人気が出るわけで、st.rim.or.jp は、なかなかの猛者が集まるサーバでした。
またホームページに掲示板を作るには、それこそCGIが必要なわけで、掲示板ではいろいろなCGIに関する情報交換で溢れていました。でも他のサーバだとそのままでは使えないことも多かったんですけどね。掲示板以外ではアクセスカウンタが人気でした。でもアクセスカウンタに凝りすぎるとアクセスカウンタが原因で表示に時間がかかるようになったりするので、何事も程々にです(当時の通信速度はとても遅かったんです)。
私の場合、元々UNIXな人だったので、あまり困ることは無くて、ホームページでいろいろ楽しませてもらったのですが、フォームとか作るとスパムの嵐にあったり、セキュリティホールを潰すのに忙しくなるので、もっぱら何かを表示するだけにしていましたけど。
いずれにせよ、元々好きでなかったperl(CGIを書くのによく使われた言語)が、より嫌いになったのは確かです。
Perl
このようにメールアドレスやホームページのURLがプロバイダ依存だったので、何らかの理由でプロバイダを引っ越すと、これらもお引越しが必要でした。私もこの頃に23区内から八王子に引っ越したのですが、リムネットのアクセスポイントが八王子になくて電話代がかさむので、八王子にアクセスポイントがあった山梨インターネットに引っ越しました。やはり、このお引越しが大変でした。
気がつけばリムネットの時代には2400bpsとかだったモデムの速度も、56Kモデムになっていました。その後Nifty-Serveを使うようになり、自宅にもISDN回線を引き込んで、安定したデジタル接続で64Kが2つ接続できるようになり、だいぶ速度も速くなりました。
ISDNになる少し前頃からテレホーダイというサービスが始まり、午後11時のバトルが懐かしく思い出されます。夜間のみ常時接続という時代になり、チャットなどリアルタイム性のあるサービスも多くて、みんなで夜型の生活にならざる得なかった時代でした。
パソコンもWindowsのシリアル端子からモデムを直接繋いでいたのが、自宅内にLANが出来てルータを介してネットに接続する形になっていきました。八王子から再び23区内に引っ越したときには、始まったばかりのADSL接続に飛びつき、さらに光回線を引いて自宅にサーバを設置するようになった話は別の機会に書きます。そういえばネット接続以前のパソコン通信の時代については、まだ書いていなかったですね。
ヘッダ写真は、以下から使わせていただきました。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:US_Robotics_56K_Modem_Front.JPG
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