ソードM5 - 日本における低価格パソコンの始まり
今は M5 と言えば M5STACK のことかと思うかもしれませんが(手前味噌?)、その昔、ソードという会社がゲーム会社であるタカラと組んで 1982年にリリースした M5 という名前のパソコンがありました。
ATARIのゲームコンソールがアメリカで大ヒットしたので、これが日本にもやってくるのではないかとタカラ(現タカラトミー)が、危機感を抱いたのがキッカケだったようです。ただ日本ではゲーム機に何万円も払うのは難しいだろうと考え、ゲームも出来るとは言えパソコンであれば行けるのではないかと、既にビジネス向けの独自パソコンを開発していたソードと組んで低価格パソコンを作り上げました。
M5 (コンピュータ)
ソード (企業)
ゲームなどのコンテンツはROMカセットの形で供給することとし、ゲームセンターで人気のあったナムコやコナミなどのゲームを用意しました。ゲームを楽しむためのゲームパッドと呼ばれるコントローラーも付属していていました。これをZ-80AをベースにTI/99-4でも使われていたVDPやPSGを使いB5サイズのコンパクトな筐体に収め、重量も800グラムしかありません(もっとも電源はACアダプターです)。
BASICカセットを差し込めばプログラミングをすることもできます。RAMは基本的には4Kしかありませんでしたが、BASICカセットにもRAMも入れ、BASICを使う時は8K使えたので充分です。キーボードは筐体が小さいこととコストダウンのためにゴム製の小さなもので、使いやすいとは言えませんでした。タカラ以外のゲームメーカーもトミーはぴゅう太、バンダイはRX78を出してきましたが、M5が一番人気があったと思います。
カセットで供給されたBASICは3種類あったのですが、殆どは入門用とされた基本BASIC(BASIC-I)が使われていたようです。やっぱり本格的にプログラムをするにはキーボードが厳しかったと思いますよ。
SORD M5
ビジネスマシンのソードが発売したゲームパソコン「m5」
ソードM5
タカラ ゲームパソコンM5(SORD M5) 基板写真
Sord M5
振り返っても、これだけの機能を安価にまとめ上げた設計はよく出来ていて、さらに各種仕様を積極的に公開する方針だったために、今度は世界中で互換機が作られることになりました。また翌年に販売が始まったMSXの規格策定にも大きな影響を与えたことが想像できます。MSXが出回るようになってからは、マーケットが丸かぶりとなり、価格を下げた後継機を出すものの、徐々に勢いがなくなってしまいました。
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