コモドール64 - ホームパソコンの理想を求めて
コモドールはPET/CBMというパソコンの王道を突き進みつつも、VIC-20/1001といったホームパソコンというジャンルを開拓していきました。VICについては、シンクレアと一緒に以下の記事を以前に書きました。
シンクレアとVIC - 日本では広まらなかったけど
VICはコストダウンのために大幅に性能を削ったので、パソコンとしての評判は今ひとつでしたが、その価格から一般の電気店で売るという方針をとったので、プログラムも出来るゲーム機としての地位を得て、パソコンのマーケットを拡大するという点では大成功を収めました。マーケットが拡大するということは、その上で動くソフトが売れることになるので、多くのゲームが移植され、ちょうど草の根ネットが始まったタイミングだったことも幸いし、多くのフリーソフトも作られるようにもなりました。
VIC-1001
この動きをコモドールは見逃さず、半導体の価格低下に合わせて性能をあげれば、さらに売れるだろうということで、コモドール64(通称C64)を開発しマーケットに投入しました。
コモドール64
64という名前ですが64ビットとは関係なく、搭載しているメモリが64Kなのが名前の理由です。見た目は VIC とかなり似ていますね。
テレビに出力する都合、解像度はそんなにあげられないのですが16色のカラー表示にスプライト機能も持ち、またPSG音源も搭載しゲーム機としての基本を押さえていました。この機能拡張ため VIC との互換性はありませんでしたが、幅広い販売チャネルとサードパーティ製ソフトの開発を後押しすることで、とてもよく売れました(ウィキペディアによると1700万台)。
パソコンがパソコンであるのは、自分でプログラムを書いて売ることが出来ることで、ゲームが売れてプチ・アメリカンドリームを成し遂げた若者も多く出たようです。ゲームに限らずサウンドチップに魅せられて、C64で音楽作品を制作するアーティストもいたようです。
あらためてスペックを見ても売れたのは良くわかります。安いですしメモリも潤沢に使え、絵や音の表現力も豊かです。にもかかわらずシステムはシンプルで、余計なコトを覚えたり気にする必要もありません。まさに「ちょうどよい」感じなんです。逆に言うとこれ以降のゲーム機/パソコンは機能が増えすぎて、プログラムやグラフィック/サウンドといったリソースをひとりで作るにはなかなか厳しくなりました。ゲームなんかは結構、芸術的なことがあるので、なかなかチームで作るにはハードルがあります。このあたりで転換期が迫ってきているような気もします。
そういう意味で未だにC64の人気は高く、コミュニティも活発ですし、数年前には復刻もされています。
コモドール64が手の平サイズのゲーム機として復刻、「THE C64 Mini」が直輸入
ただ、このC64が売れすぎた反動なのか、ゲーム界の巨人だったアタリが急激な売上低下に見舞われ1983年に崩壊してしまいます。
アタリショック
この隙を縫って登場したのが任天堂ファミリーコンピュータであり、コモドールが amiga を手に入れるきっかけにもなったのです。
コモドール
なかなか amiga にたどり着けないな。
ヘッダ画像は、以下のものを使わせていただきました。
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Commodore-64-Computer-FL.png
Evan-Amos - 投稿者自身による著作物, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=17414886による