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INSネット1500を引いた話 - はじめての光ファイバー

最近はISDNといえば廃止のニュースくらいしか聞くこともないですね。もう随分と前になりますが、これを引いた時のことを思い出しました。

そもそもISDNというのは、それまでアナログとデジタルがバラバラだったシステムを、(当時から見て)今後のデジタル化の発展に備え、電話システムを置き換えていこうという世界的な流れで出来上がった規格です。

ISDN

これを受けて日本でも(再編前の)NTTが1988年にINSネットという名前でISDNのサービスを始めました。

INSネット

当初は、まだダイアルアップ接続も草の根ネットくらいしかありませんでしたし、ホスト側が対応していないので使えず、多くの回線を引き込んでいたビジネスホンくらいしか用途がありませんでした。ところがちょうどダイヤルQ2というサービスが始まり、これを捌くためのサーバを開発することになってしまったのです。

ダイヤルQ2

PC側にはダイアルアップを受けるカードをいくつも差し込んで、それぞれの着信からトーン信号を受けて、何らかの処理をするわけです。短い音声であればカードからの応答も出来ました。Windows にも TAPI と呼ばれるシステムが含まれており、これとカードに対応するアプリを繋ぎ込んでいくわけです。拡張スロットをたくさん持つフルタワーケースに入ったPC/AT互換機を台湾から調達して、リソースのコンフリクトを避けながらたくさんのモデムカードを差し込んでいくのです。

まあハードの設定をしてソフトを書くまでは普通の開発なのですが、問題はテストをする必要があることです。もちろん回線をシミュレーションする装置もあるにはあるのですが、いろいろと制約がありますし、お値段もなかなかなものです。そこで実際に回線を引いてしまえということになり、INSネット1500を引くことになってしまいました。

INSは普通の電話線を2つ使う”2B1D(64Kbps2回線と16Kbpsのパケット回線)”が使えるネット64が一般的ではあったのですが、多くの回線を捌くテストなのでこれでは回線数が足りません。そこで”23B1D”の1500にしたのですが、これは光ファイバーで引き込まれます。NTTは建物までしか引き込んでくれないので、まず引き込んだあたりにDSUを置いて、そこから装置の置いてある部屋までは多芯ケーブルで繋ぎました。まあその頃の光ファイバーだと屋内配線するには何かと制約も多くコストも嵩んだので、普通の電話線(の束)を使ったわけですが、なかなか迫力のあるケーブルを使うことになりました。

1500の時はさすがにプロの方にもろもろをお願いしたのですが、無事に納品も済み、1500を維持するのは大変なので64に変更して、今度はDSUからTAなどの設定を自分でやってみました。建前上はNTTがやってくれることになっていますし、実際、勝手にやってはいけない設定もあるのですが、当時はNTTの方も現場に来る人はフィールドで経験を積んでいるという状態でして、ある程度、電話網に詳しい自分のほうが局側の担当者とのやりとりがスムーズに進みました。まあそんなにビックリするほど難しいものではないですが、網側の設定と合わせないとサービスに接続できなくなるのでね。こういう機会に分かる人から情報を引き出して経験を積むのがネットの世界のコツでもあります。

お陰でISDNの設定は詳しくなり、その後、あちらこちらで応援を求められることも増えましたが、もう今はすっかり忘れてしまいました。どのみち新しくISDNを引くようなことは無いので、思い出す必要も無いのですが、技術の知識なんて大抵は賞味期限があるものです。とはいえ電話網の知識はまだまだ役に立つのですが、SIPの設定は勘弁して欲しいです。もうグダグダな世界ですからね。

その後、今の場所に引っ越してからも、引き続きISDNも引いたのですが、同時にADSLを引いた話は

常時接続の醍醐味 - ADSL

に書きました。この後、こちらを光にした時の話は、そのうち書きますね。

ネットワーク周りの開発の最大の難点は、装置がいろいろなところに分散するので、何だかんだ現場に行かなくてはいけないことで、なかなかキツイので、これだけは勘弁してほしいといつもお願いしています。セキュリティ的な問題もあってログ見るだけでも持ち出せないので来てくださいとかはアルアルですからね。

ヘッダ写真は、まだ壁に埋め込まれたままの多芯ケーブルの端。

#ISDN #INS #ダイヤルQ2 #DSU #TAPI

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