見出し画像

internetじゃなくてjunetだった

面白そうなお題があったので参加してみます。

具体的な時期はもう覚えていないのですが、86年か87年あたりのことではなかったかと思います。当時、バイトをしていた会社がjunetに接続することになり、アカウントを持っていた私は「自動的に」インターネットに参加することになったのです。

もちろん今のようなIPの世界ではなくて、定期的にモデムから電話をかけることにより接続先のコンピュータとデータを交換し、バケツリレー方式で世界中のコンピュータに繋がるという今から見るとなんともノビリしたネットワークでした。

当時、利用できたサービスとしては主にメールとニュースで、自分の端末で書いたメールはLAN内のメールサーバに蓄えられ、電話をかけた時にメールサーバが蓄えられたメールを送り、逆に電話先のメールサーバからメールを受け取ることにより、最終的に自分宛てのメールを読めるようになるという仕組みです。ですのでメールが相手先に届くには早くて数時間、世界を相手にする場合は数日かかるケースもあるという、まさしく「メール」だったわけです。

最初の頃はドメインシステムも普及途上で、経由先を指定する"!"なんて記号もアドレスに入っていたりしました。

junetって何?と思う人が大多数だとは思いますが、そもそもインターネットの元となったarpaネットは軍が主導して始まったネットで、学術・研究目的で接続するものでネットにおける商用利用はできないものでした。これが元になっていろいろな課題を解決して商用利用できるようになったものがインターネットなんです。

junetも徐々に多くの大学や企業が参加するようになり、私も自分の通っていた大学が入っていなくて不便だったので、アレコレ手を回して接続するように頑張った覚えがあります(情報学科ではなかったのに^^;)。またjunetへの接続も、都度、電話をかけるのではなく、常時接続となり、uucpによるデータ交換からIP接続に進化していきました。

当時、パソコン通信は既に始まっていて、やはりモデムで電話をかける方式だったのですが、junetは特定のネットワークに接続するのではなくて、間接的であれ世界中のネットワークに繋がるというのが違いで、だからこそ「インターネット」なわけです。

ヘッダ写真に写っているモデムは当時、junet接続に使われたようなモデムで、一般的なモデムが高速なものでも9600bpsだったのに14400bpsが出せた憧れのモデムでした。いずれにせよアナログな電話回線を使ってデジタルなデータをやり取りしていたわけで、地域によっては電電公社の電話交換機が古くて速度が出なかったり不安定だったり、モデム自身もアナログ的な性能の問題で連続して接続していると熱くなって接続が切れたり、繋ぐこと自身が大問題でした。

これは個人的な見解ですが、専用線は(同じ容量であれば)接続する長さで課金されていたので、繋ぐ先とあまり離れているとコストが嵩みます。それでIP接続するような会社は渋谷からR246を通って大手町までの範囲に集まっていたのではないかと思っています(ただ青山局が曲者でしたね)。

パソコン通信の話はまたいずれ。

参考

https://caua.ctc-g.co.jp/archive/event/symposium2014/pdf/goto.pdf

#はじめてのインターネット

ヘッダ写真は、
https://en.wikipedia.org/wiki/File:Modem_Telebit_T2500_deutsche_Version.jpg から使わせていただきました。


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?