ディスプレイの歴史 - 初期のパソコンはどうして横40文字だったのか
テレビというのは、カメラで撮った画像からテレビ信号を作り、放送局から電波塔を通してVHFまたはUHFの高周波に変調して家にあるアンテナまで飛ばし、これを復調してテレビ信号に戻してブラウン管などに画像を映し出す装置です。この復調する部分を端折ってカメラなどの映像をそのまま出すだけの装置をモニタまたはディスプレイと呼びます。昔のテレビは直接繋ぐような装置も無かったので、テレビの後ろにはアンテナ端子しかありませんでしたが、その後、ビデオの普及に伴いビデオ端子であるとか、いろいろな接続も可能になったのでテレビはディスプレイとしても使えるようになりました。
テレビとビデオ信号
ビデオ信号に関してはまだカラー映像の説明とかを忘れていますが、結構ややこしいので、今回は割愛します。
初期のパソコンは、このビデオ信号をそのまま流用して、カメラなどに使われていたディスプレイを使うようにしていました。ゲーム機なども同じでしたが、一般の家庭ではディスプレイを持っていることもまず無いので、ビデオ端子の無かったテレビが使えるようにRFコンバータと呼ばれる装置でビデオ信号からテレビの1または2チャンネルの信号を作って、テレビでもディスプレイとして使えるようにしていました。
RF接続
とはいえ変調して復調すると、どうしても信号がなまってしまい、あまりキレイに表示されず、テレビに詳しい人はテレビ基板上のテスト端子を探し当て、ビデオ出力を直接、接続してしまうという大技を使ってキレイな表示を出していました。
ビデオ信号では横方向の解像度は回路の特性次第ですがテレビを流用することを考えると画面上では300程度の点を打つのが精一杯で、カラー表示を行えばさらに解像度は下がります。縦方向は走査線が飛び越し走査なので200本くらいしかとれず、これが解像度の限界になります。ですからテレビ出力を前提としたパソコンの画面解像度はMSXの256✕192あたりが一般的になります(APPLE][は280✕192)。
※飛び越し走査の残り半分は使われないことが普通で、そのため当時のディスプレイ表示は拡大すると縦方向に隙間が出来ていた。
RCA端子
テレビを前提としなければ、もう少し帯域を広げることが出来るので、専用のディスプレイを使えば縦横の解像度を少し稼ぐことは出来ます。とはいえ同期は60Hzで走査線の数も同じままだったので、だいたい解像度の限界は320✕200辺りになります。初期のパソコンの解像度がこのくらいだったのは、主にディスプレイの性能に依っていたわけです。
カラー表示に関してはテレビ放送では限られた帯域にモノクロと互換性を持った変調方式で色情報を突っ込んでいたので何かと制約が多く、ディスプレイの場合はそのままRGBそれぞれの電子銃に信号を渡せるようにモノクロのテレビ信号を3つ送るようなデジタルRGBという接続方法を使うことが多かったです。ここでいうデジタルとは、それぞれの色の点がオンとオフしかないという意味で、この接続では8色しか使えないという意味で使われていました。
8ピン角型デジタル端子
という訳で、この解像度では英数字カナを横に40文字並べるのが精一杯(8✕40で320ですよね)で縦方向は文字を隙間なく並べると25行は取れるのですが、これだと読みにくいので隙間をあけて20行で使われることも多かったです。
そもそもアナログ時代のテレビというのは、画面も今に比べればとても小さくリビングにある大きめなテレビであってもせいぜい24インチ(4:3の斜辺の長さがテレビのサイズ表記の数字)程度で、そんなに鮮明な画像が見られるものではありませんでした。英数字であればひとつの文字を表現するドット数もそんなに多くしなくても識別できたのですが、漢字を出したり精細なグラフ表示を行いたければ、テレビの世界を抜け出した専用のディスプレイを開発しなければなりません。またカラーについても8色ではまったく足りないので、新たな接続方法を用意する必要がありました。
ブラウン管というデバイスは高い電圧を扱いますし、なかなか高度なアナログ部品なので、そんなに簡単に高性能化できるものではなかったのですが、パソコンの爆発的普及に後押しされて技術開発競争が激化していきました、こういうアナログな世界の技術は日本メーカーの得意なところで、世界のディスプレイマーケットに日本製品が溢れていた時代でした。
ということで、次の標準が480✕320となり、640✕400になって、GUIな時代にはさらなる高解像度化が進むのですが、その辺りはまたいずれ。
ヘッダ画像は、以下のものを使わせていただきました。https://www.irasutoya.com/2013/01/blog-post_9868.html