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人生には祭りが必要だ。
昨年の阿波踊りに続き、今年は念願の青森ねぶた祭りへ。
そもそもだいぶ前から青森県の宿は、祭りの期間はどこも空いていない。多分多くのツアーが抑えているのであろう。
だから僕はだいぶ前にホテルではなく、唯一一室だけ空いていた弘前駅前の若者やバックパッカー達が泊まるようなホステルをどうにか予約して、だいぶ不安であったけど、そこは若者どころか、男女合わせて(自分を含めて)良い歳の人たちばかりでだった。
特に話すわけでは無かったけど、そんな共有スペースで過ごすのは思いの外楽しく、悪く無かった。むしろこの歳になって貴重な体験をさせてもらった。
行きも帰りも夜行バスで9時間。
そんな決死の覚悟で、僕は青森ねぶた祭りにやってきたのだ。
そもそも、ねぷたなのかねぶたなのか話せば長くなりそうなのでここでは触れないが、青森市、五所川原市、弘前市の三つの町の祭りを堪能した。
青森市ではらっせー、らっせーと掛け声をあげ、五所川原市では、やってまれ、やってまれと声を上げる。(弘前は何だったか⁈)
いずれにしてもそれぞれのご当地ねぷた、ねぶた祭りである。
人々は、一年を祭りのために生きている。
祭ごとは政りごと。
一年の祭りが終わると、また来年の祭りの準備が始まる。
東北の場合には、その間には長くて厳しい冬がある?だから一層、祭りは楽しく、誇らしく繰り広げられる。
そう、人々は楽しいことはもちろん、とても誇らしく見えた。
コロナ明け(僕の中では随分前から開けていたが)で、やっと自由に祭りができるようになった喜びと、地元を誇る思い。
それを肌で感じて、涙が込み上げ来た。
みんな生きてて良かったね…みたいな。
そうだ、本来祭りは見るものではなくやるものなのである。
僕も子供の頃に祭りで神輿を担いだし、あるいは高校生になると友達の住む町の祭りに参加して夜中まで騒いだ。
人生には、祭りが必要なんだと思う。
それは一年を通して日常生活を支えるもの。
全てを忘れて熱狂する夜。
日本の夏は、とても、素敵だ。