HUNTER×HUNTER38巻感想・考察【旅団編】 25年も…待たせやがって
旅団部分以外の記事も公開しました。
連載再開まで1か月を切ったHUNTER×HUNTER。
例によって、再開直前話までの話が掲載された単行本が発売されたので、感想・考察をまとめたり復習したりしようとしたんだけど、旅団の過去が描かれたことについて語ってるだけでそれなりの長文になってしまったので、全体考察と復習は別記事にして、後日アップします。
本記事では、前半で25年分の思いの丈を述べて、後半で旅団とクルタ族の因縁について考察しています。
概要の復習をしたい方はこの記事をどうぞ。
前回の再開時の記事だけど、アウトラインはこの頃から変わっていません。
それにしても、ジャンプでリアルタイムで読んでたとはいえ、週間連載でこの密度は消化しきれないし、単行本発売→1か月インターバル→連載再開は、ファンにとって最適なスケジュールだなあと思う今日この頃。
◆38巻感想 冨樫先生ありがとう
幻影旅団の過去が描かれた時の興奮は、本当にこれが現実なのか疑ってしまうレベルだった。
全然大げさな話じゃなくて、これに共感してくれる人は山ほどいると思う。
年数の厚みが違いすぎる。
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HUNTER×HUNTERを読み始めた時、自分はまだ小学生。ヨークシン編は中学生かな?
ドラゴンボールもリーダーたけしもガッシュもコロコロも大好きだったけど、ハンターは別格だった。
生まれて初めて厨二心をくすぐられたのが幻影旅団だったと思う。
あの頃は、この「ただ欲しかった」の伏線が回収されるのを純粋に楽しみにしていた。
中学生なりに、旅団の過去やクロロの性格について、「流星街の苦しい生活の中でも何かを手に入れることに光を見出してたのかな」「団長の額の十字架は、見せているときとそれ以外で性格が違うな。あれは団長としての覚悟なのかな。」とかの妄想に胸を膨らませていた。
5年後 期待と諦めと
そこから約5年が経ち、何となく冨樫先生の作劇スタイルが分かってくる。
自分は高校生~大学生。HUNTER×HUNTERはキメラアント編中盤。
画像の伏線、回収されないかもなあ、とも思ってくる。
伏線らしきものを張るとき、(恐らく)冨樫先生の頭にその裏付けとなるストーリーの骨子はできている。
けれど、全てを回収するつもりはきっとない。
ストーリーの進行にうまく乗る形で描ける展開なら作中で描写するが、その機会があるかないかは冨樫先生にすらわからないのだろう。
ネームの真理に最も近いと言われる冨樫先生ならではのスタイルだと思う。
種を蒔けば蒔くほど漫画は面白い。
他方で、無秩序に伏線が蒔かれるだけの漫画が面白いというわけでもない。
この5年の間は、まだ諦めきれていないせいで、キメラアント編で旅団視点に話が移った時、「おお!過去回想くる!?」と期待して、ちょっとがっかりしたりした。
あのエピソード自体は大好きだけど。
ギュドンドンド属の生き残りにして舞闘士(バプ)のボノレノフ=ンドンゴによる【戦闘演舞曲(バト=レ・カンタービレ)】かっこ良過ぎやろ。
厨ニ心、くすぐられるどころじゃないよ。
変形させた手で厨ニ心を抜き取られて振り返って笑いながら握りつぶされてるよ。
「オヤジはもっとうまく盗む」ってやかましいわ。
15年後 悟り
15年が経ち、冒頭のくだりが回収されなくたって全く構わないという心情に至った。
この間に自分は就職し、妻子も持った。
1~2年に1回ハンターの続きが10話読めるというシステムがもはや自分の人生の一部として組み込まれたような気すらする。
キメラアント編は本当に最高だった。
この先の人生でこれ以上のストーリーは読めなくて構わないとすら思った。
今も心を捕えて話さない幻影旅団の過去は確かに気になる。
でも、きっと冨樫先生の頭の中には、今も新しい物語が生まれ続けている。
それを追えることが幸せなのだ。
その生産の流れを止めてまで別のエピソードに時間を割く必要なんてない。
旅団の過去が描かれるか否かなどというミクロな視点からは解脱したんだ俺は。
本気でその悟りに至っていた。
25年後(現在) そう思っていたのに
そう思っていたのに突然過去は語られた。
![](https://assets.st-note.com/img/1726068690-MbXWxuEACTs3gS4G9qVcIPrZ.png?width=1200)
え?え?え?ってなった。
職場で、HUNTER×HUNTERなんて名前くらいしか知らない同僚に、いかにこれがすごいことか興奮して話してしまった。引いてた。
どうやら全然悟っていなかったらしい。
395話から397話(+パクノダの書き下ろし)で語られた旅団の過去は、これまでに語られた旅団のエピソード、台詞、キャラ設定と全く矛盾していないものだった。
空白だった部分にピースが埋まる感覚は、「これぞ伏線回収」と言わんばかり。
目的達成のためには、無関係の者の命を奪うことすら厭わない非情さ。
圧倒的武力に加え、単なる犯罪者集団とは一線を画す知性。
統率された意志と非情さにそぐわぬ仲間への思い入れ。
ドライなプロフェッショナルさと身内に見せる温かみのギャップが与える魅力は、旅団の来歴に基づくクロロのデザインと絆から生み出されていた。
追い続けた読者の期待を一切裏切らないエピソード。
ビデオテープにもちゃんと意味があった。
そして爽やかな回想に突然差し込まれる予想の斜め上を行くエグさ。
現状そのものが悲劇の原因ならそりゃ180度生き方変わりますわ…
語ったにもかかわらず、クルタ族惨殺の経緯は謎に包まれたまま。
むしろ、謎は深まるばかり。
ウボォーの語るクルタ族との戦闘と、実際に行われたあまりにむごい行為との乖離。
「旅団の犯行」の裏付けになるようでならない、犯行現場に残された「何も奪うな」のメッセージ。
伏線回収のカタルシスを読者に与えながらも、謎により物語を牽引する魅力は一切損なわれていない。
満足はさせてやるが成仏はさせてやらない。
悟るな、飢えろ。
そんな冨樫先生の声が聞こえてくるようだ。
飢えて待ちますとも。
これまでの人生で何度言ったか分からないけれど、冨樫先生はやっぱり天才です。ありがとうございます。
◆考察 クルタ族との因縁
今回で旅団の来歴が明らかになった。
明確に語られていない部分は引き続きあるものの、今回のエピソードを元に考察できる部分は多い。
クルタ族との因縁を、旅団の成り立ちを整理した上で考察してみる。
旅団の目的とクロロのデザイン
クロロが語った旅団の目的は、次の2つ。
①サラサの復讐をするために、自分達が罠として利用できるような、悪党が集まる(経由する)コミュニティを作成する。
②流星街を守るシステムの構築
これらを実現するためにも、犯人を見つけた後のためにも、自らが強さを備えた圧倒的な悪にならなければならない。
そして、①②は相互に影響し合って強力なシステムになる。
流星街を守るためには、流星街自体を手出し無用の忌み嫌われる集団とするのが効果的。
そして、そうなった流星街は、悪党が経由するコミュニティとしてうってつけ。
都合の悪い物は流星街に捨てればいい。
来歴が真っ当でない品でも、ここを経由すれば資金になる。
後ろ暗いがひけらかしたいもの(犯罪の動画とか)があるなら、流星街の中でだけ流通させればいい。
悪党達が尻尾をつかまれないつもりで行うこれらの行為は、全て旅団の網の中。
クロロのこのデザインは非常に理に適っていて、あの幼い少年が考えたと思うとぞっとする。
流星街が恐れられる集団となった理由の、①マフィアとのつながり②”報復の掟”(=復讐のための爆弾集団自殺)の両方を考えたんだもんな…
ちなみに、395話にある「人と認められず被虐民として生きてきた者達の街の名を 世界の人々が恐れを含み呼び始めた頃 幻影旅団は産声をあげた」という説明を読むと、あたかも今回のエピソードより前から流星街はマフィアとつながりがあったように読める。
しかし、エピソード内では、流星街は完全なる被害者で、被害が拡大している最中。
世界に恐れられている様子はない。
これに加え、長老会がクロロに街の問題を相談しようとしている描写も合わせれば、マフィアとのつながりも、”報復の掟”も、現状打破のためにクロロの提案により行われたということになると思う。
なぜクルタ族を狙ったか
※以下の話はHUNTER×HUNTER0巻のエピソードを前提にしています。
ジャンプにも掲載されはしたけど、0巻が手元にない人にとっては分かりにくいかも…
さて、デザインの意図まではいいとして、クルタ族を家族で向かい合わせにして傷つけた上で、怒りにより鮮やかな色合いとなった眼をえぐるという、文字だけで表現されても目を背けたくなるような行為を旅団がやったかというと、やはりそれは腑に落ちない。
目的のために手段を選ばなくなったとしても、惨殺自体を目的にするのは、サラサの命を奪った集団と同じ。
「緋の眼を狙う」という行為の主体は旅団ではないと考えるのが自然。
そう考えると、シーラがクラピカに託した本がキーな気がしてくる。
シーラは恐らく、旅団結成のタイミングで流星街を出た。
![](https://assets.st-note.com/img/1726154003-b3wlymo8PMdLUZTj0OVpERvK.png?width=1200)
その後、シーラはクラピカ達に「D・ハンター」という本を渡している。
これが根源だと思うのだ。
流星街に”報復の掟”「命は命でしか償えない」「我々は何も拒まない だから我々から何も奪うな」ができたのは、シーラが街を出た後。
シーラはこの掟を知らない。
これは単なるコンセプトではなく、念能力の制約と誓約に関するもの。
長老の念能力(番いの破壊者【サンアンドムーン】)を維持するために、流星街の民は、奪われたものは取り返さなければならない。
シーラは本を善意であげただけかもしれない。
しかし、長老の設定した誓約が、
「双方が譲渡に合意した場合を除き、流星街の物は外部の者に与えてはならない。合意がないものは全て奪われたものとみなす。」
「奪った者には関係者も含めて命の償いを」
「実行後には必ず『我々は何も奪わない。だから我々から何も奪うな』と書いた声明を残す」
というものだったとしたら。
シーラが本を渡したとき、クラピカとパイロはシーラの言葉を理解できていない。つまり、形式的には、譲渡に合意できていない。
クルタ族は、流星街の物を奪ったと判定される。
(このあたりの判定、誰が見とんねんと言われると厳しいけど、誓約が破られそうになった場合、奪われた状態にあるということが長老にビビッときたりするとか。知らない間に誓約破られちゃうことは防げるようにしたいだろうし。)
誓約を破るわけにはいかない。
クルタ族には命で償わせるしかない。
引き返せなくなった流星街に対して、マフィアが交渉を持ちかける。
「どうせ殺るなら、クルタ族の眼をくれないか。動けなくしておいてくれれば、後は請け負う。里に居る者は必ず生き残らせず、声明も残す。今後のマフィアと流星街の関係は悪いようにはしない。」
いずれにせよクルタ族は生かせなくなった。
ならば最大限状況を生かす、という程度にはクロロはもう割り切っていただろう。
クルタ族の戦闘能力はマフィアが太刀打ちできるレベルではない。
拘束するという行為は旅団にしかできない。
他方で、悪党になったとしてもクロロに美学は残っている。
眼を奪うために尊厳を奪うことを、自らはしないだろう。
だが、マフィアがそれを行った結果、その行為が幻影旅団によるものとされ、悪名が轟くことをあえて止める必要もない。
悪名が高くなるのはむしろ好都合。
かくして悲劇は起きた。
これらの経緯やマフィアと流星街の関係は、団員には最低限の内容しか伝えておらず、クロロしか全容を把握していなかったんだと思う。
精神的な負担は自分だけが請け負うというのはクロロがやりそうなこと。
シーラのミス(知らなかったのだからミスですらないが)により、無実のクルタ族を襲うことになったなんてことを、クロロ以外のメンバーは知る必要がない。
「ある部族を襲う必要がある」ということ以上の説明はしなかったのではないだろうか(まあ、知っていたとしても旅団メンバーはクロロの指示になら従うんだろうけど)
それなら、ウボォーがクラピカに対し、「あれは大仕事だった」などという、バトルしかしていないかのような反応を示したことにも筋が通る。
ウボォーは新聞読んだりしなそうだし、この後どうなったとか気にしてないでしょう多分。
ちと苦しめの考察だけど、巷で言われる「シーラがクルタ族の居場所を知ったから、クルタ族がシーラを殺した」という説も、クルタ族がそんなことするかな…?って疑問が消せないので別方向からアプローチしてみた次第です。
◆まとめ
これだけ一冊の密度が濃いと、一部をピックアップするだけでも長文になってしまう。
恐ろしい漫画だ。しかしそこが面白い。
継承戦やヒソカVS旅団の感想・考察についても、少なくとも連載再開までには別記事で更新したいと思っています。