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高野山へ行く#4

金剛峯寺はお寺というより古くからある博物館のようなものだった。

中で拝観受付を済ませ、観覧ルートに沿って歩くと多くの広間が迎えてくれる。
おそらくはそのどれもが需要な儀式や法要などに使われたであろう立派な部屋なのだが、特に目を見張るのが襖絵だった。

襖に描かれた絵は、その一つ一つが丁寧な書き込みがされていて、さらには部屋を回ると、四季を感じられるようになっている。と、僕的には感じた。

高野山に来て多くの仏像を観たが、その仏像にも劣らぬ有名な絵師の手によって描かれていたのだろう。

一部屋一部屋を丁寧に観て周り奥へ進むと、今度は手入れをされた立派な庭が出てきた。


蟠龍庭と呼ばれる石庭は国内最大級の規模で、龍を表す石は四国から持ってきたそうだ。
残念なことに、どれが龍を表しているか僕には判断がつかなかった。

金剛峯寺を後にして、いよいよメインイベントの奥の院へと足を運んだ。

金剛峯寺から奥の院の入り口である一の橋までは約1kmちょっと。簡単に歩ける。時計に目をやると12時になろうかとしているころ。一瞬、ちょっと早めのお昼ご飯を食べようかとも頭をよぎったが、みろく石本舗かさ國の前で見つけた芋焼きに目が止まり、再び食べ歩きをすることにした。


シナモンの香りが甘味を抑えて食べやすく美味しかった。

小腹を満たしたところで、奥の院の入り口一の橋に到着した。
途中、弁天様のお社をいくつか見つけた。


どうやら、高野山には7つの弁天様が祀られているそうだ。残念なことに僕は4っつくらいしか見つけることができなかった。
次に来るときの楽しみにとっておこう。

奥の院は、1150年に弘法大師空海が御入定されている聖地で、ここ一の橋からやく2km先の御廟まで歩くことが正式と言われている。
この2kmにわたる道のりは約2万基を超える諸大名のお墓や慰霊碑などが建ち並んでいる。
お墓の間を通って。と考えると何やら物騒にも感じるが、死して尚聖地に守られると考えれば素晴らしいことだ。

実際に路を歩くと驚く名将たちのお墓や慰霊碑などがたくさんあり驚いてた。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の御三家はもちろんのこと、上杉謙信、武田信玄などの武将から、企業や戦時中の部隊なども数多くある。

この奥の院までの路は、ただただ、お墓や慰霊碑だけでなく数多くのお地蔵様があった。
雨風を避けるように木の下に祀られていたり、願いを込めてお化粧されたり。
中でも気になったのが、ただの石に赤い前掛けを付けただけのお地蔵さん。古くから日本は多くの神様が存在し、色々なものに神様が宿ると考えられている。その想いの一つなのだろう。
この地では、ただの石ではなく全てが神聖な石で、古くから皆の願いを受け止めてくれているのだろう。

奥の院の参道を進み最後の橋、御廟橋がある。この先には弘法大師
の御廟が有り橋の先は一切の撮影が禁止されている。

気持ちを整え、神聖な場所へ一歩踏み出した。
高野山について感じた凛とした空気が、より一層強く感じた。

奥の院の御廟には、今もなお弘法大師が、この世に肉身をとどめ今なお救いの手を差し伸べていらっしゃるとされている。おそらくはこの建物の中に居られると考えると、より気持ちが引き締まる想いだ。
多くの人たちが、手を合わせお経を唱えていた。

ひょんなことから念願だった、高野山へ突然来ることが出来たが、身体全身でその空気を感じることができた。

帰り道。
お昼を食べ忘れていた僕は、高野山デジタルミュージアム内にある、カフェ雫で遅めのランチを食べた。

精進カレーを食べたのだが、とてもおいしかった。

その後、和歌山といえばのお土産、梅干しを買いにお店に入ったら、三鈷の松をわけてもらえた。

充実した1日だった。


では、旅の思い出を。。。

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