パウロとヨハネの働き
パウロとヨハネの時代
聖書(使徒行伝など)に記されていることは割愛させていただきます。
重要な項目だけを挙げておくと、
初代教会は、ペテロとヨハネを中心にして指導されました。
しかし、ステパノの殉教後まもなく、当時、厳格なユダヤ教徒であったサウロ(ローマ名:パウロ)がキリスト教に劇的な回心をします。
第1世紀のキリスト教会の教理的な問題は大きく分けて2つありました。
一つは、パウロ時代(A.D.30年代〜60年代)に起きた割礼などの律法問題です。
そして、もう一つは1世紀の終わりごろに起きた仮現論問題です。
前者(律法問題)はパウロらによって解決を見、後者(仮現論問題)はヨハネらによって解決を見ました。
1.律法と信仰義認(パウロ)
パウロは書簡や説教、討論などを通して、《信仰義認》の教理――行いによらず、信仰によってのみ神のみ前に義(正しい者)とされる――を全面に押し出しました。
それに対して、ユダヤ教からキリスト教に入信したいわゆるユダヤ主義者たちは、洗礼を受けてキリスト教徒になっても、割礼を受けなければならないと説き、さらに異邦人キリスト者にも割礼を強要したようです。
このことが大きな問題となり、その問題を解決するために、A.D.49年ごろに「エルサレム会議」が開催されました。
その結果、偶像に供えられたもの、絞め殺した動物の肉、淫らな行為を避ければ、それだけでかまわない。割礼などの律法を守る必要はないという結論に達しました。
2.仮現論(ヨハネ)
1世紀の終わりごろになると、公生涯中の肉体を持ったイエスと直接出会った人たちは、この世を去っていきました。
すると、イエスは肉体を持たれた本当の人間ではなかった。神が仮の姿をとって現れたに過ぎないという仮現論を信じる人たちが現れました。
それに対して、ヨハネは地上に肉体をもって生きたイエスの伝記のような体裁(つまり福音書)を取って、それに対抗しました。
【例】「言は肉体となった(1:14)」
仮現論の根本的な誤りは、神やイエスを人間が制限を加えたり、人間が概念や規定を与えてしまうことです。
神もイエスも絶対的な御方であり、人間が相対化できるものではないのです。