半生
恥の多い生涯を送ってきました。
かず王と申します。
近頃仕事中に暇な時間が続くため、なにか書いてみようと思い立ち適当な暇つぶしとして文を書いてみようと思い立ちました。
適当に自分がその時書きたいことを書いていくことになるため、興味なかったりめちゃくちゃつまらないかもしれませんが、もし暇な時間があって気になるタイトルがあることがあったら読んでみてください。
今回は初回なので、とりあえず簡単に私の半生を書きます。
別にマジで面白くないので、ここで読み終えてもいいです。
出生~高校生
平成初期に青森のド田舎で生まれる。
小中学生まではかなりまじめに生活を送っていた。
父親が河島英五という演歌歌手の大ファンで、車に乗っているときはその歌手下流れていなかったため、その歌詞に人生観がかなり影響されることとなる。
端的に言えば
「男は寡黙で、不器用だけれどまっすぐである」
といったものだった。
(河島英五がそう言っているわけではないが、自分はそう受け取った)
だから自分は小学校の時も、なるべく自分の感情というものは出さずに、いつも冷静で静かでいることが男のありさまであると信じ、なるべくならそれを実行していた。
それを象徴するエピソードとして今でも印象に残っているのが、小学6年生の時に、誰かがしゃべった発言でうっかり笑ってしまったときに
「あ!かず王くんが笑ってる~」
というセリフがでたことがあるくらい、自分は普段冷静というか無表情に過ごしていた。それが男だったから
そんなこんなで中学校は卒業し、地元の自称進学校(偏差値55くらい)と呼ばれる高校に入る。高校時代は特段変わったことは少ないが、昔ほどクールでいることに縛られなくなった気がする。そして、大学進学と同時に宮城で一人暮らしを開始する。
大学生活
高校までは順風満帆に過ごしていたが、大学生活で一番初めにつまずいたことがある。友達作りだ。
地元を離れて進学し、なんのとっかかりもつかめないまま、最初の数週間が過ぎてしまったため、そこから作るのはなかなか難しかった。
一緒に授業を受ける人がいないと、大学の授業なんてものはとても退屈すぎて耐えられないか、難しかったりする。
他の人が助け合って友達と教えあったり、テストの過去問を共有していたりしているのを見ていると、とても孤独だし大変だなと感じざるを得なかった。
「大学退学して、来年青森の大学を受験してそっちに入学しようかな」
入学して3カ月くらいした時には本当にそれを考えるくらいには、一人でいることに疲れていた。
しかし、そこにある転機が訪れる。
雀荘との出会いだ。
詳しくはまた別の記事にて書くが、この雀荘という逃げ道があったおかげで俺はずいぶん助けられた。
ある意味人生救われたとも言える。
そんなこんなで雀荘通いながら学校にも行っていたものの、とある理由により3年の後期で休学を決意。
休学期間中はアルバイトにてフリーターのような生活をして過ごす。
時間を見つけては、麻雀、スロットで稼ぎながら食いつなぐ。
人によっては人生において最も無駄に見える期間であったと思う。
半年の休学後も学校に通いながら生活をするもなかなか授業に向き合うことができない生活が続き、7年ほど在籍した大学を中退。
そのタイミングで地元の青森に就職先が見つかったため、宮城を離れ青森に帰り、そこから働いて8年、今に至っている。
以上がざっくりとした自分の半生。
基本的にはギャンブルで生活していたような状態もあったし、学校は中退しているし、まともなことは少ない。
とりあえず、以降の記事はこんな人が書いているんだって思いながら読んでもらえれば。
ちなみにノートに書いている話はフィクションであり、実際の名前と同じ名前のような人がいたとしても偶然です。気にしないでください。