わたなべ
ワタナベという男がいた。
身長は180cmはあろう、体重は100kgは超えていよう、さらに坊主頭にサングラスをかけており、色黒で声は大きい。
いかにも不良を絵にかいたような男であった。
事実、夜の歓楽街で立って人通りを見ていたのを見たことがあるので、おそらく夜の店で働いているのであろう。
そんなワタナベも麻雀は大好きなようで、雀荘ではたまに見かけることがあった。
私が雀荘に初めていったのが19歳になった直後ころ。
そのころ、面白くて狂ったように通っていた雀荘にて対面にワタナベが座ることがあった。
(0.3や0.5のレートの雀荘にくる見かけじゃねーぞ)
そんなことを思いながらも、ワタナベは別に強くはなかったので、気にせず打っていた。
数半荘打ったが、麻雀の調子があまり振るわなかったワタナベは、あるとき、体に似合わぬ小さな声で
「カルピスおかわり」
と言った。
店員にカルピスを持ってきてくれと注文だ。
しかし、当時は雀荘全盛期。
店にある10卓ほどの雀卓もセットやフリーで埋まっており、他の店にいっても同じような状況であるから、フリーの空き待ちをする人さえいるぐらい雀荘が栄えていた時代だった。
当然店内も騒がしく、店員も忙しそうに仕事をしていたため、ワタナベのカルピスの発声はかき消されてしまった。
「……カルピス」
少しだけ声を強めたが、それでもなんの反応もない。
それもそのはず、ワタナベは店員のほうを向いてしゃべっているわけでもなく、顔は卓上に向けてまるで麻雀中の発声のように注文をしていた。
これでは例え店員が声を聞いたとしても、卓上の会話の可能性もあるため積極的に反応しようとはしないはずだ。「リーチピンフ」も早く言えばカルピスに聞こえなくはない。
しかし、そんな店員の事情はワタナベには関係ない。次の瞬間
「カルピスゥゥアア””!!!!!!!!!!」
ワタナベの咆哮が雀荘中に響き渡った。
キレるタイミングの飲み物のチョイスが悪すぎる。
なぜ飲み物のなかでカワイイ響きのカルピスを頼んでしまったのか。
キレるならビールかコーラにしろ。カルピスでキレた人間は小学生の妹以来10年以上は見ていない。。
静まり返った雀荘ですべての人がワタナベを見つめる。
すかさず店員が「どうされましたか」と寄ってくると
「カルピスって何回も言ってんだろ!!!!」
怒りの収まらないワタナベ、飲み干していたグラスを床に叩きつける。
しかし、プラスチックのグラスのため、割れずっ!!!!コンッコンッ
「大変失礼いたしました。ただいまお持ち致します」
「もういらねーよ!帰るわ!!!!!」
ワタナベは立ち上がり、半荘の途中で少しの金を置いて帰って行ってしまったため、続きは店員の代走でゲームが終わりまで続くことになった。
ワタナベがエレベーターで帰る際に、ワタナベと仲の良いメンバーが見送りに行っていた。するとエレベーターの扉が閉まる直前、ワタナベが笑顔を見せていた。
そう、ワタナベもなにも本気でキレているわけではなかったのだ。
不良としてのプライドか、矛を納めるわけにはいかなかった。ワタナベにはワタナベの理由があったのだ。
そんなこんなで時は流れ、しばらくワタナベを見ることもなくなっていた。
4年後くらいであろうか。
当時学生時代だった私は金もなかったが、その雀荘は、学生はパソコンと飲み物がタダで飲み放題漫画も読み放題、かつ麻雀も打たなくてもいいという【無料の漫画喫茶】のような神雀荘があったため、そこに入り浸っていた。
大げさじゃなく、週に5日くらいはそこにいた。あの時は大変お世話になりました。
ある日、そこにセットをするワタナベが来た。
久しぶりにワタナベを見た私は昔を思い出し、感傷的な気分と同時に、なにか面白いことが起きないかなと期待していた。
しかし、その日はなにもなく平和に終わってしまった。
ただ、後日メンバーから話を聞くことができた。
「先日、タナベさんがセットをするということで席の予約をとっていたんだけど、時間になってもタナベさんだけ来なかったから、セットは解散となってしまったんだよね。それで、なんで来なかったのかって聞いたら、タクシーで雀荘に向かっているときにタクシーの運転手と揉めて警察沙汰になってこれなくなったみたい」
私「サイコーだww」
「で、その代わりのセットが数日後にうちで開催されたんだけど、その時タナベさんが着てきた服に大きな文字で【POLICE】って書いてて笑っちゃたよww」
ワタナベはコワモテながらお茶目さも持ち合わせていることが判明した。甘辛ミックスだ。
私「ちなみにあの人の名前ってワタナベだと思っていたけど、タナベなの?」
「あぁ、なんかいろんな雀荘で出禁になったから、【ワタナベ】から【タナベ】って名乗ることにして別人ということにしているみたいだねww」
今は私が住む場所が変わってしまったが、旅行がてら数年に一度はその雀荘に顔を出すようにしている。
いつ名前が【ナベ】になるのかはひっそりと楽しみにしている。