競技は完全であるべきか
リーグ戦最終節書きたいんですが、筆が進まぬぬぬ
さて、プチ炎上した。
競技の時間制について
個人的な私見を少し回りくどく書きます。
昔話などもするので本当にくどいです。
結論先に述べときます。
結論としては
①放送対局等一部可能な対局では導入検討がされた方が良い
②全ての対局で採用されなくても競技として成り立つ
現状競技麻雀のプロ対局において時間制限はありません。
時間制限ない事は競技ルールの欠陥とされます。
それは無制限に時間をかける事が可能だからです。
僕は競技かるたをしていました。
競技かるたは頭脳と運動能力どちらも必要です。
7歳からで今でも2~3年に1回大会に出ます。
エンジョイ勢です。漫画ちはやふるの机君くらいの強さです。たぶん笑
エンジョイ勢になるなと感じたのは
中高とサッカー部で練習時間をそちらに割く事が多く
同年代でかるた推薦等で大学に入学するレベルの子達と明らかにレベルが違ったからです。
かるたは40歳からでもいいかなんて思いながらたまにするとガチ勢いいなーとなります。
競技かるたの世界も不完全な部分があります。
それはどちらの札を取ったかを話し合いで決める。
という事です。
名人/クイーン戦という最高峰の舞台で
放送用にスローモーションカメラがあるにも関わらず
どちらが札を取ったか話し合う
→決まらない場合は横で見ている審判に判断をあおぐ
という手順でカメラに頼りません。
(違ったらすいません)
競技として厳密に成立させるならば
横で見ている審判がカメラ確認を毎回し判断すれば良い事になります。
なぜカメラ確認が行われていないのか。
(将来的にされるかもしれません。)
予測ですが
それは前提として競技者2名でゲームを成立させる。という意識があるからです。
トップクラスは揉め(話し合い)があれば進行妨げになりやすいとして極力揉めの時間を取りません。
しないように意識しています。
損得抜き(どちらかといえば損)の
その意識はどこで形成されるかというと各かるた会の指導です。
審判に判断を求める時はお互いが譲らない時だけ。
微妙な取りをしたなら遅い自分が悪いのだから譲ろう。と教えられている会もあります。
競技を極力周りに迷惑をかけず2人で完結させようという姿勢で何十組と同一会場で戦う様は美しいし、圧巻です。
また、かるたは音に非常に敏感な世界でもありますが、会場内の見学が基本自由です。
(厳しいマナーがあります)
これも競技をきちんと成立させるならば見学人は排除した方が良さそうです。
会場係をした際
体育館で開催されている2階見学席の人がコンビニの袋を触った音を注意した事をふと思い出しました。
20mは離れていたと思います。
僕は昔かるたで「勝ち」に拘っていたので、よく揉めました。(札を取る意味で)揉め方も上手だっだと思います。
ただ、大人になり多くのトップクラスの人たちと話すると、自身の感覚/考えが「競技を成立させる意識が低い」と気づきました。
審判はあくまでも補助的な役割という事です。
競技かるたのプロはまだ存在していません。
(業界の雰囲気的にもうすぐしそうですね。)
が、トップクラスの人たちは各々意識高く取り組んでいて美しいです。
僕にとって競技というと
上記のかるたの世界がベースとなります。
不完全な部分は生じてしまうけれど、競技者たちのきちんと成立させるという意識で成り立たせる。
ですので、麻雀プロとなり競技麻雀に不完全な部分があったとしても
プロ意識を持って取り組み成立することは4人で成立させる。という認識です。
時間制度そのものはあるに越した事はありません。
持ち時間に関する議論はあるにせよ、ある方がいいのは明白です。
現代の切るまでの時間読みも効果が薄くなり、競技性も高くなると考えています。
競技を4人で成立させるものと認識しています。
時間管理となると審判に頼る事になりますが、審判に頼らない現状で問題ないと感じています。
競技者であるならば~という意識です。
性善説に基づくと思われるかもしれません。
かるた/麻雀の世界とも研鑽を積めば、不完全な部分はしっかりしようという意識が高くなっていきます。高くならない人は不思議と自然淘汰されていきます。
ですので、性善/性悪など関係がないかなと思っています。
「意識高く」を連呼していますが
勿論、不完全な部分が存在してデメリットになる場合があります。
それは新規参入のハードルが高くなるという事です。
①競技麻雀を知らない方
②モラル度外視で勝つために全てをしない事が悪。
と考えている方
これら層にとかく伝わりにくい。
ですので、放送対局等は時間制限(管理)があった方が伝わりやすいため行った方がいいかな。
と個人的には考えています。
全てのプロ対局で時間管理を
競技性を損なわずに行う技術/方法/運営は現実的には厳しい(はず)です。
プロになって一番驚いたのは
牌こぼしに対して非常に厳しい所です。
今思えば、競技性のクリティカルな部分のため当然かなと。
内部事情は詳しくはないですが、団体として、より競技性を追及する姿勢はとても感じています。
ふわっとした締めになりますが
競技として不完全な部分は時代/技術の進化と共に少なくなっていく事が予想されます。
それまでの間、競技者としての意識をもってゲームを成立させる事が大事だと考えています。
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