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心に強い弱いなんてあるのでしょうか?
うつ病になる人は、心の弱い人だというのは何の根拠もないが、なぜだかそういうことになっています。
そもそも、心のが強いか弱いかを、どのように測るのでしょうかね?
夏目漱石は、門下生の鈴木三重吉にあてた手紙の中で、現代のような社会で生きていて、うつ病にならないような人は、まともではないというようなことを書いています。
まっとうな人なら、現代のような社会に生きていれば、心がおかしくなるのは当たり前で、そうでない人は信用できないとまで言っています。
現代は、ある意味では、本来の人間としての本能や感性を殺さないと生きていけない世の中になっていると思います。
僕は、月に一度くらい、朝の通勤ラッシュの時間に電車に乗りますが、あのような状況では、人間のパーソナルスペースなどの感覚を遮断しないと、乗ってはいられないでしょう。
満員電車に平然と乗っていられる人と、拒否反応が出る人とでは、人間としてどちらがまともでしょうか?
そう考えると、現代の社会の組織に、順応して生きている人と、そうでない人は、どちらがまともなのでしょう。
どちらがまともかということを外していも、この二種類の人間が同じ環境で生きるのには無理があるような気がします。
社会は、もちろん自分たちの組織に従順で盲目的に従う人々を歓迎するので、満員電車に文句も言わずに心を殺して乗っている人々や、現代の矛盾に違和感を感じることなく隷属して働く人々を強い人間として歓迎し利用しています。
よって、それに従えない人々を、弱い人間、病人というレッテルを張って遺棄することで、隷属する人々の虚栄心を満たす道具にしています。
このような社会で、隷属して生きている人々は、本当に強いといえるのでしょうか?
そして、そうではない人々は弱いといえるでしょうか。
一度立ち止まって、思いを巡らしてみることが必要ではないでしょいうか。