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でもお前、オタクじゃんw
サッカー部に所属している友人にこう言われた時、カッと顔が熱くなるのを感じました。
友人の言葉は私をひどく不快な気持ちにさせました。私はそれを隠すため、いや〜違うけどな〜とヘラヘラ笑っていました。
しかし腹の底では悔しかったのです。オタクだとバカにされたことを許せるべくもありませんでした。
悔しいならば実力で、完璧なるロジックで、私がオタクなぞではないと友人にわからせるしかありません。
これは悪魔の証明です。自分にオタクの成分が0であることを示さなければなりません。
否定の証明は肯定の反証より遥かに難しいものです。
しかしやらねばならない。
オタクだと罵倒したあいつを見返してやらなければ私の気が済まないのです。
自分がオタクではないと証明するためには、例えばオタクと排反にある存在集団を定義し、そこに自分が属していることを示す方法があります。
そしてそれをするためには、オタクとは何かを深く知る必要があります。敵を攻略するためにはまず敵をよく知らねばならないのです。
私は家に帰ると、晩御飯のカニクリームコロッケを舌で転がして楽しむ余裕もなくスマホをいじりました。
オタクとは何かについて知るためです。
オタクとは、ハチマキをして、メガネをかけて、リュックにチェックの服で、ちょっと太っている男のことを指すのだと思っていました。
それなら私がそうでないことを示すのは簡単です。
私はメガネもしていなければ太ってもいませんから。
しかし、調べてみると“オタク”の定義は存外広く、そしてふわりとした言葉のようです。
これは困りました。オタクの定義がふわりとしている以上、それと排反の存在を定義することもできません。
まずは“オタク”に明確な輪郭を与える必要があります。
それはどうしたらいいのでしょう。
食べ終わったお皿を見つめて思索に耽っていた私に、その時稲妻が落ちました。
もちろん比喩です。実際に稲妻が落ちてなどいません。ひらめきの衝撃が走ったみたいな意味です。
要はムーミンの股間に稲妻が走っている、アレです。
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話を戻します。私は今しがた食べたカニクリームコロッケを思い出したのです。
コロッケと聞くとかぼちゃコロッケや牛肉コロッケ、げんこつコロッケなんてのもあり、各人が各々勝手な想像をします。
しかしカニクリームコロッケと言われれば、自ずとその想像はみな一に集約するはずです。
噛んだら白いクリームが出てくるあのコロッケを想像するのです。
ここにおいて“コロッケ”は、“カニクリームコロッケ”としてではありますが、その輪郭をしっかと持つことになるのです。
“オタク”もこれと同様なのです。定義が抽象的で、語義の境界が曖昧だと言うのなら、それより範囲を狭めたやや具体的な輪郭をこちらで再定義してやればよいのです。
私は一人ほくそ笑みました。心は悪巧みを思いついた少年です。
明くる日、私は友人に、私は一体なんのオタクなのだと尋ねました。
もちろんこれはトラップです。
彼は彼自身が紡いだ言葉によって私がなんのオタクであるかの輪郭を自分で定義させられるのです。
そして私が自身の性質について、友人の主張したそれではないことを示した時、彼の主張は崩れ去るのです。彼の言葉は私の切り札となるのです。
友人は言いました。私はアニメのオタクなのだと。
私は内心勝ったと思いました。
なぜなら私はアニメを殆ど見ないのです。
時間をかけてロジックを組み立てるまでもありません。
この場で私は高らかに勝利を宣言したい気持ちでした。
しかし友人は続けました。
お前はスパイファミリーも呪術廻戦も見ているアニメオタクだ、と。
これで私は困ってしまいました。
流行りに敏感な私は、誰とでも話ができるようにと、これらのアニメだけは見ていたのです。
これはアニメオタクに分類されてしまうのでしょうか?
否、と言いたいところですが、“アニメを2本見ただけではアニメオタクにはならない”という論拠はどこにもなく、更には“アニメを見ているのならアニメオタクの成分が私の中に100ではなくともいくらか混ざっているのだ”、と主張されれば勝ち目はありません。
私は必死に考えました。友人は私をカニクリームコロッケだと言いましたが、確かに私は自身にクリームの要素があることを自覚していたのです。
しかしここで私ははたと気がつきました。
クリームの要素があるというだけではまだコロッケだと決まったわけではないということに。
友人は私をコロッケだと言い、更にカニクリームコロッケであると定義しました。
私はそれに対してたしかに自分がクリームであることを認めましたが、果たしてそれはコロッケであることまでをも認めているのでしょうか?答えは否でしょう。
ていうかなんならカニクリームコロッケってそもそもコロッケなんですか?
コロッケってなんですか?中にじゃがいもを入れた挽肉でしょう。じゃあ中にじゃがいもが入ってないカニクリームコロッケってそもそもコロッケなんですか?違うんじゃないですか?
ところで昨日から嫌なことばかり言ってくるこいつは本当に友人なんですか?友人ってなんですか?
どうやら友人の定義も私の中でずいぶんふわりとしているようです。これは再定義の必要があるのかもしれません。
なんだか不愉快になってきたので、私は今しがた考えたコロッケの話を多少の飛躍は無視して友人に捲し立てました。
友人はそれを聞き終えて少し驚いたような表情を見せた後、すぐにそれを引っ込めていたずらっぽい顔で言いました。
「あとそういうとこがオタクっぽい笑」