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エゴン・シーレ展

数日前から雨予報だった3月18日土曜日の朝、日時指定のチケットを事前購入して「エゴン・シーレ展」を訪れました。
ポスターの絵があまり好きではなく、とは言え、妙に色彩には惹かれるなと思いつつ展覧会開始からしばらく静観していたのですが、食わず嫌いもよくないと訪れることとしました。結果は、斜に構えていてごめんなさい。(全てではないけれど)好きな絵を描かれるアーティストの一人となりました。

入り口の大看板。この自画像のポスターをよく見かけて、上述の通りあまり好印象ではなかったのですが、これは絵の一部の抜粋で、左側の白い壁の空間と彩るほおずきのオレンジを見た時、好きな絵の一つ好きになりました。
ポスターとしては自画像の切り出しの方が人を惹きつけられるとの判断だったのでしょうけれどね。

本展覧会は、ドイツのレオポルト美術館所蔵のエゴン・シーレ氏の作品を中心に、氏と同時代のオーストリアを中心として活躍された、エゴン・シーレ氏、コロマン・モーザー氏、グルタフ・クリムト氏、アルビン・エッガー=リンツ氏などの作品群が展示されており、それぞれに見応えがあります。

度々書いている通り、素人の私が絵の良し悪しを判断することはできませんので、今回も特に好きだった作品の感想を並べてみたいと思います。
尚、この展覧会は基本的には写真撮影が禁止で、第9章の風景がのみが写真撮影が可能となっています。

グスタフ・クリムト氏作
「ハナー地方出身の少女の頭部秀作」
「赤い背景の前のケープと帽子をかぶった婦人」
この作品は第2章の同室内、少し離れた場所にかけられているのですが、まずは上の少女の作品から離れられなくなり、下の赤い背景の婦人の作品で感銘を受け、両作品の間を行ったり来たり、ロビー階を離れる前にもう一度戻ってしばし鑑賞するなど、かなり怪しげな挙動をしつつ何度も鑑賞をしました。(尚、エレベータを使えば、2Fまで上がってもLBFの展示エリアに戻れます)
クリムト氏と言えば、金彩を多用された作品が有名ですが、私は綺麗だとは思いつつもそれほど好きで印象に残っている作品というものがありませんでした。どこかで書いたような気もしますが、かなり以前にウィーンのヴェルデヴェーレ上宮の美術館で多くの作品を見た後も、心に残っていたのはモネの作品だったくらい。(ファンの方、申し訳ありません。素人の戯言です)
しかし、この小さな秀作の少女は、白基調のモノトーンで派手さとは無縁ながら、その色彩と、決して美少女というわけでもない少女の表情が心に残った作品でした。クリムト氏がまだ若かった頃の作品とのことです。

「ウィーン分離派展ポスター」群
その名の通りウィーン分離派の複数回に渡る展覧会のポスターが何枚か展示されているのですが、その構図、図案、文字の形の明るく楽しげな空気感に惹かれました。

エゴン・シーレ氏作
「装飾的な背景の前に置かれた様式化された花」
先入観にまみれて展覧会場を進んで、これがエゴン・シーレ氏の作品と知って
「へぇぇ」と妙に感心してしまった作品。背景のタイル状の描き方のせいか、構図のせいか、色彩のせいかは分かりませんが、清々しさと共に記憶に残った作品です。

アルビン・エッガー=リンツ氏作
「森の中(<祈り>のための秀作)」
部屋に入って遠くにこの作品が目に入って、すうぅっと吸い寄せられて、しばし絵の世界を逍遥していました。あまり光の入らない針葉樹の森を描いた作品。一見陰鬱にも見えるのですが実はそんなことはなく、木の表情も豊かで優しげに静謐。ただ、これは私がこうした森が好きだから惹かれただけかもしれません。

コロマン・モーザー氏作
「山脈」
抽象化された奥行きのある山々の連なり。
この作品も、遠くから絵の前に引き寄せられました。
色彩と言い、山の輪郭といい、表情といい。抽象画でありながら山の空気を感じられるような心地よい作品です。

エゴン・シーレ氏作
「ほおずきの実のある自画像」
本展覧会のポスターに、一部を切り出して使われている作品です。
上述の通り、ほおずきの実の白い壁も含めた絵全体としてみた時、自画像だけを切り出した時とは異なる優しさと穏やかさを感じられた作品です。

エゴン・シーレ氏作
「悲しみの女」
上述のクリムト氏の少女の作品とは異なり、強引に絵の前に引きずり出されるような吸引力のある作品。目と口元、作品の描き方の故か、モデルとなった女性の魅力なのかは分かりませんが、強引でありながら不快さは無く、強く印象に残った作品でした。

エゴン・シーレ氏作
「吹き荒れる風の中の秋の木<冬の木>」

この展覧会全体に言えることですが、額装が西洋絵画にありがちなゴテゴテとしたものではなく、装飾を廃しながらも作品を引き立てる素敵なものが多かった。

今回の展覧会で一番好きな作品かもしれない。
原画の豊かな表情からは程遠いと分かりながらも、画集も買ったのに絵葉書も買いました。
なぜか分からないけれど。。凄く惹かれました。我ながら語彙力の浅さに愕然としてしまいます。背景の暗雲の荒々しさと色彩、そして抽象化されながらも音が聞こえてきそうな風にしなる木の表情。冬の木にも思えるけれど秋の木なのか。。でも。。
水墨画も白と黒だけの世界ながら豊かな表情が描かれますが、モノトーンながら豊かな色彩によって描き出された世界に惹かれたのかもしれません。

またいつものように、長々と浅はかに感じたままを書き連ねてしまいました。
前置き(?)が長くなりましたが、お伝えしたいのはただ一つ、お近くにお住まいであれば是非とも訪れてみてください。

左上はエゴン・シーレ氏作の「装飾的な背景の前に置かれた様式化された花」で展覧会場で購入したものですが、残りの3点は美術館エントランス正面のミュージアムショップで惹かれて購入した斎藤清氏の版画。東京都美術館ではなく、会津柳津にある斎藤清美術館の所蔵とのことなので、飯豊山に登りに行く時にセットで訪れたい。


展覧会とは関係のないw、美術館の前の散り椿

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