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福田平八郎さん 没後50年展覧会 大阪中之島美術館 対象を引き出す色彩と表現

帰郷の際のnote第三弾(?)。
今回の帰郷で楽しみにしていたミッションの最後、福田平八郎さんの展覧会をお目当てに大阪中之島美術館を訪れました。アート作品に無知な私でも知っている漣(さざなみ)。タイトル写真の通りキービジュアルにもなっている作品。京都の方であったにも関わらず他の作品を存じ上げず、どのような作品を描かれているのかを知りたく、楽しみにしていました。
ところが、その漣が作品保護の為に4月24日まで展示を停止されるとのこと。

作品が損傷したのかと思い尋ねたところそう言う訳でもなく、貸し出し作品で大人の事情かと思えば同館の所蔵。メインの作品が前後期で変わる訳では無く間に展示対象から除外されることもあるのかとやや呆気に取られた始まりでした。

会場には複製が展示されていました

展示の定番通り、描かれた年代に沿って展示がされていました。しかし、私がいきなり惹かれたのはお若い頃の作品、「池辺の家鴨」。構図と言い、色使いといい、いきなり心を奪われました。大胆で自由な構図と表現に、晩年の作品への萌芽を見る心地が致しました。絵葉書にはなっていて買い求めましたが写真撮影は禁止の作品。

「池辺の家鴨」の絵葉書

尚、会場内は一部の作品を除いて撮影禁止です。

前半は作者の感性が溢れ出しつつも多くの写生に裏打ちされた具象表現のものが並びます。その写生や作品の背景で描かれた色彩に、単なる具象とは異なる奥深さを感じ惹かれます。
撮影可となっていた朝顔の作品も、しばし見入ってしまう素晴らしさ。

作品から気高さと申しますか、内からの気品のようなものを感じます。

その後、冒頭で書いた漣以降、徐々に抽象表現と言いますか、具象に囚われずに作者の目、或いは心に映る姿を表現されているかのような作品が増えていきます。
特に竹を描かれた作品群の表現がいずれも忘れられぬ強い印象を残す作品ばかり。一瞬、奇抜な色表現のようでありながら、確かにこれは実際の竹の色だと納得するのです。不思議です。
写生で対象をしっかり観ることとは、先入観という靄を払い除けて、あるがままを心に映しとることなのかと思いました。
こちらも幸い一作品が絵葉書にはなっていたので買い求めましたが、作品で撮影可のものが無かったので、色彩のイメージをご紹介したく、会場入口の写真を撮りました。

いかがでしょう、確かに現実に存在する竹の色ではありませんか?

作品点数は想像していたよりもかなり多く、前から離れがたかった作品も多くありましたので、危うく余裕をみていたはずの帰路の新幹線の時間が心配になるほど。
撮影可だった内で、特に惹かれた作品をいくつか並べてみます。

「新雪」
単に私が雪景色が好きなので惹かれたのかもしれません
「氷」
「海魚」
「雲」
あまりタイトルにこだわる方ではなかった模様。。

その他、撮影不可の中に「草河豚・鰈」「花菖蒲(昭和14年作のもの)」など多数のお気に入り作品が。。これから荷物を引き取って東京に戻らねばならないと言うのに、堪えきれずに、絵葉書だけではなく図録など色々買い求めてしまいました。
後期に登場する作品も多いとか、漣の再展示に合わせて再訪したくなった素晴らしい作品群でした。

今回に限らず、まだまだ知らない作品が多いなと痛感。楽しみが尽きません。

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