根引松
例年、年末は亡父の墓掃除など年始を迎える為の準備に郷里の京都に帰ります。そして、大晦日を迎える前にまた東京に戻ります。大晦日に白朮詣り(おけらまいり)に行って、知恩院の除夜の鐘を聞き、初詣に行くというのが京都にいた頃の習慣でした。東京に住まいする今も、そのまま年始を京都で迎えても良さそうなものですが、白朮火で火をつける竈(かまど)があるわけでもなし、何しろ年末年始の京都は大混雑、人混みの嫌いな私は関東に避難をする次第です。まぁ、家に帰るだけですけれど。
そんなことで今年も京都に帰っていたのですが、郷里の街をそぞろ歩きをしていて、早くも松飾りがされているのをちらほら見かけました。そして妙に安心感を覚えたのです。それが、家の入り口両側に飾られている根引松(ねびきまつ)。
東京でも若松が家の入り口に飾られるお家が多いのですが、その多くが根がぶった切られた松。この根が付いていない若松を見ると、どうも落ち着かないのです。
最近まで、効率重視の機械化のせいで根が切られてしまっていると思っていたのですが、どうも根引松が京都独特のもので、最近は根が切られているなと思っていたのは、単に私が東京に住んで東京で正月を迎えるようになっただけのことでした。思い込みとは怖いものです。私だけかもしれませんが。。
調べると「根付く」「地に足がつく」ということで、常緑のEternityという意味合いの松と共に縁起をかついで根が付いた状態が選ばれているということですが、私にとっては単に子供の頃から見慣れているので、見慣れていないものには心がざわつくのでした。異物感と言いますか。
そんなことで、根引松を見かけては安心感に浸るささやかな幸せを感じた(笑)帰郷の数日でした。
以上です。。
特に深みも展開もオチもないお話で失礼しました。
皆さま、どうか健康で佳き年をお迎えください。