全日本まくら投げ大会に二度優勝した俺がまくら投げを徹底分析する

序章 まくら投げの変化


まくら投げ大会そのもののルールは概要は細かく触れないので、詳しく知りたい方はこちらを見て欲しい。
私自身は第二回から参加し、競技の変化や成熟を経験してきた自負はあるので、一旦、自分の感想や考えていることをまとめていきたい。

元々は地元の高校生が考案したルールだったが、徐々に変化し、エンターテイメント性や公平性、あるいは運動能力だけでは制覇できない仕組みが出来上がっている。
これにはメリット、デメリットの両面があるので、3章で触れる。

ただ、間違いなく言えるのは競技として、スポーツとしての完成度の高さで、男女混合チームや、かつての自分のチームのように中学生が入っていても勝つこともできる。『誰でも参加でき、チームに貢献でき、勝利することができる』という公平性はとても高いと思う。
経験によると差はもちろんあるが、他のスポーツに比べると大きくないように思う。
数回ガチで練習することができたら、けっこう良い線いくチームを作れるだろう。

第1章  身体的側面 フィジカル能力が高いにも多様性があるよ

枕投げはポジションが明確であるので、それぞれのポジションに付く選手が役割を的確に全うすれば、チームとしての完成度を高めることができる。
言わば、適材適所に当てはまる人材がいることがとても重要になってくる。
ポジションに見合った選手を集める、予め集めたメンバーから適任を選ぶ、ポジションに合う選手を育成するなど、いろいろな方法はありそうだが、この項で述べるようにある程度の身体的な特性で選ばれることが多いように見受けられる。
ただし、例外パターンも頻繁にある。特に大将には様々なタイプが散見され、良い結果を残しているのが面白い。

以下に、ポジション別に向いている身体的特性を書いていく


大将 あんたが大将 うまく生きたが得なんだ


最重要ポジション。まずはここが最重要ポジションとしっかり認識することが大事。意外にもそこを理解していなさそうなチームがある。
まくらを避ける能力が最優先のため、俊敏さ、反射神経の良さ、目の良さ、視野の広さやスピードへの対応が求められる。
そのあたりがベースとなった上で、強いチームにはプラスアルファの個性がある大将が多い。
身体が小さいということが狙われる的として小さくなるメリットがあるため、身体が小さな男子や女子の場合もある。避け専門になることが多い。当然、大きな大将は狙われやすい。
投力がある大将の場合は攻撃力も加わるため、初手で決めることや、自軍の人数が少なくなった時に有効な攻め手になる。


リベロ リベロって自由って意味だけど、あんまり自由じゃないよ


リベロは相手のまくらを防ぐ壁なので、身体が大きい方が良い。
加えて、筋持久力が求められる。
ふとんを握り、持ち続け、高めのまくらには手を伸ばして防ぐ動作を2分間続ける必要があり、疲労が蓄積してきたときに、ふとんの高さが下がることもある。そうなると、リベロの後ろに隠れている選手からすると微妙に相手のまくらがすり抜けてくる位置や対応が変わるため、不意打ちのように当たったり、ふとんをかすってアウトになる可能性も出てくる。
身体が小さいリベロはどうか。身体というよりも実際にはリーチが重要だが、ふとんのはじを持ってふとんが張っているか、リーチが短く、撓んでしまうかの違いが表れる。たわんでいた方がむしろまくらの衝撃が吸収されるが、ふとんをかすって後ろに飛んでくるか、ふとんの面積は小さくなるが吸収力が上がるかのトレードオフだが、実際には大きい方がやはりメリットがあるように思う。相手から見た時もリベロの後ろに何人いるのか、大将はふとんの右にいるのか左にいるのかが把握しづらいので、やはり、大きなリーチの長い大将が良いだろう。

アタッカー 逆転のアタックチャーンス!!


アタッカーは投げて相手に当てること、飛んでくるまくらをよけることをする。相手の陣形や自軍の人数などの戦況によってポジショニングは変化するので、流動的に動くことは求められるがポジショニングで役割が大きく変化することはない。
よけるための俊敏さは当然必要で、加えて相手にまくらを当てる投力も求められる。
ボールスポーツ全般に言えるが、スピードとコントロールはどちらも重要。試合中に落ち着いた姿勢で投げられることはまずない。常に自分も狙われているので、不安定な姿勢や踏み込めない状況でのスローで、どれだけスピードとコントロールを損なわないか、あるいは小さなモーションで当てられるかが投力に含まれた条件と言える。
また、身体のサイズだが、大きいとやはり狙われやすいことはあるが、大将を守れるというメリットにもなり得るので、そこはトレードオフになるだろう。
加えて、右投げか左投げかは重要。端的に言えば、左利きがいると戦術的に幅が広がり、かなり有利になる。

サポーター 僕たちは共に戦っているんだ


他のポジションに比べて特別な身体的能力に長けてなくても、チームに貢献でき、役割を全うできるのがサポーター。
全ポジションのなかで、走る距離は一番長い場合はある。
運動能力よりも戦況を見る力や状況判断力が求められる。
とは言え、戦況によっては両軍がスタート同時に、先生が来たぞの権利を取得するための競走になる場合もあり、短距離のダッシュ力も必要になる。

まとめ 


身体的な能力だけで勝てない、言い換えると、身体的なビハインドがあっても勝てる、それが面白いのがまくら投げである。序章でも書いたが、チームの半分以上が中学生でも、体育大学チームや消防士チームなどにも勝利してきた。
行ってしまえば、フィジカルだけでなく、インテリジェンス、チームスポーツの経験、そもそもの人生経験で劣るチームでも勝ち上がることができるのだ。
適材適所を発見、あるいは育成することで、十分に上位入賞を目指せるだろう。
そこがまくら投げという競技の醍醐味である。

2 脳科学的側面

まくら投げは競技中の思考力により、身体的なビハインドを覆すことができる。または脳科学的側面からアプローチすることで、選手が自身のメンタル俯瞰的に捉え、そこから生じる効果を行動に移すことで、素晴らしい結果に導くことも可能である。そして、おそらくは他のスポーツらしいスポーツよりも、それらのチャンスが多いように感じる。
まず、思考力において、何よりも重要なのはルールを把握すること。初参戦のチームや慣れないポジションに付く場合など、ルールを知らなかったためにセットを落としてしまうのをよく見る。
ルールを理解し実践する力が基礎となり、その上に戦況を把握し、先を読み対応する力、さらに上位進出チームになると声による指示、アイコンタクト、阿吽の呼吸的なものも含めてのコミュニケーションが勝敗を左右する。
おそらく多くのチームスポーツ、球技に求められる資質だろう。
決勝トーナメントなどのハイレベルな試合になると、緊張、プレッシャーも極度に高まるため、脳内の神経伝達物質、いわゆる脳内ホルモンによる支配も大きくなる。もちろん、神経伝達物質を計測したこともないので、大部分は憶測ではあるのでご注意ください。

以下に、ポジション別に求められる能力というより、脳力を書いていく。

大将 常に狙われ、たったひとつのミスで全員が死ぬ ノルアドレナリンをどう使う?


大将が負うものは責任。戦うものは恐怖。
試合中にもその重積がのしかかるため、運動量以上に疲労は強い。
自分が当たったら負けるという恐怖と不安により、ノルアドレナリンが放出される。そのため、集中、覚醒まで持っていくことができれば、闘争・逃走反応つまり、戦うか逃げるかを選択し、よける作業に必要な筋肉の素早さを増加させることもできる。
過去の大会において、小さく素早いという特性から、2人の中学生に大将を任せたことがあるが、セットの合間に極度の不安状態に陥ることや、試合後に泣いてしまうことも見られた。
そのくらい強烈な恐怖と不安がある。
大人の優秀な大将を見ていると、戦うか逃げるかを上手にコントロールし、試合中にも攻撃とよけるを的確に選択しながら、勝利に貢献している姿も見られる。どちらの行動を選択しても、ノルアドレナリンによる冷静さを巧みに活用している。もちろんそのような姿は理想的ではあるが、その域に到達するには個人の経験や特性だけでなく、チームとしての在り方も関連するため、次の章で詳しく述べる。

リベロ 目指すは『考える壁』。つまりは壁の中の巨人。求められる知性とは


リベロはまくらを防ぐという役割が明確であり、自分がやられる心配がないため、他のポジションに比べると冷静でいやすい。
単純に防ぐだけの能力なら、身体的に大きく、ある程度の反射神経だけで良いのだが、上級のリベロになると相手陣営の状況を伝達する役割を担うこともあり、的確で有用な情報をシンプルに仲間に伝える能力があれば、チームへの貢献度は高い。
しかし、残り30秒になり、リベロ終了からは一気に役割が変わる。もちろん、その際には自分のスイッチを切り替える必要があるのだが、自軍のまくらの数と場所と大将の位置、相手選手の場所や特性をインプットし、終了の合図の瞬間に最適な行動を求められる。
極論すれば、大将を守るために自分がどう当たるか、自分の死に場所はどの畳の上なのか、その選択を迫られるのだ。リベロという横文字がついたポジションではあるが、大将の盾となり、自分を殺すことも厭わない武士道的な役目がある。

アタッカー ALL YOU NEED IS KILL. アドレナリンをぶっ放せ


前項の比喩を使えば、チームの刀。いや、矛や槍という方が的確だろうか。大将首を取ることを最大の目的としながら、敵アタッカーと競り合う。
このポジションは大量のアドレナリンが分泌されるため、その効果により闘争逃走反応が出るのだが、選択すべきはもちろん闘争。そのため、試合後しばらく身体的には興奮状態が続くこともあり、筋肉のこわばりや震えが残ることもある。余談だが、アドレナリンによる血圧の上昇は陰茎への血流が減少し、勃起不全になるため、中年男性は気をつけたいところ。
大将の項で記述したノルアドレナリンと共にアドレナリンも血糖値が上がり、しばらくすると急速に下がるためなのか、甘いものが食べたくなる。しかし、ノルアドレナリンと異なり、アドレナリンは脳への精神的な作用には関与しないため、試合後に怒りや攻撃性が高い言動をしている選手は単に性格の問題と言って良い。

サポーター オーバーフローするオキシトシン


サポーターに求められるのは献身性。もちろんどのポジションもチームのためにあるのだが、内野勢と異なり、目立つことは少なく、縁の下の力持ち的な役割となる。
献身性が発揮されるにはオキシトシンの分泌が関連するため、女性がサポーターをすることは理にかなっている。誤解なきように補足するが、女性=献身的と決めつけているのではなく、オキシトシンの分泌により、肌のきめ、髪の艶、見た目の可愛さにも作用するので、その効果を期待するならサポーターは適役ということだ。もちろん男性でもオキシトシンが強く、最大限の貢献をする選手もいる。

まくら投げにおいて、誰もがわかっていることだが、チーム内の信頼関係は何よりも重要で、拮抗した戦いにおいては勝敗を左右する最大の要因になる。
オキシトシンの作用はチームにとって不可欠。人を助ける、信頼する、貢献、献身など一体感、チーム感の醸成を果たす重要な物質だ。
チームをひとつの有機体と捉えた際にオキシトシンそのものであるサポーターの重要性は伝わったように思う。

3  チーム論


あらゆるチーム競技はもちろん、昨今では個人競技においても、ライバル、応援者など周りとのチーム感というものは重視されている。
エンターテイメントとしてのまくら投げの最大の弱点が一人や二人ではできないことだったり、人数が揃わなければゲームが成り立たないことである。これについては次章で触れる。加えると、この章での言説が次章の提言にも大きく関わるため、しっかり読んで欲しい。

チームかグループか

人は群れる生き物。それがチームなのか、グループなのかを判断するのは簡単で、どれだけ目的を共有できているか、その一点に尽きる。
目的は優勝でも、予選突破でも、楽しんで帰るでも良いが、楽しむということは個々人で差がある。競技を楽しむのか、温泉を楽しむのか、一緒にプレイすること自体が楽しいのか、具体に落とし込むとそれぞれに違いがあることが多い。それは決して悪いわけではないが、チームかグループかの定義付けをした場合にはグループに属することになる。いわゆる観光ならばグループの方が良いだろう。強く目的にコミットすると、目的に沿わない行動は悪と判断することもできるからだ。

チーム感の高まり

おそらく、まくら投げに参加するチームのほとんどが初参加時にはエンターテイメント性、つまり、楽しむを求めて参加することだろう。しかし、負けた悔しさ、勝った喜びを経験し、それらをメンバーと分かち合ううちに確固とした目的が(顕在化あるいは言語化するかはわからないが)芽生え、作戦を立てたり、トレーニングをしたりして、チーム感の高まりを感じることができる。それこそが大きな喜びであり、仲間の大切さや、メンバーシップの醸成に繋がる。短い競技時間で3セット制だからこそ、一気に一体感が生まれ、強くなっていく光景は何度も見てきた。

リーダーの存在

まくら投げの場合は他のスポーツと異なり、明確なリーダーが生まれにくい。もちろん大将は最重要ポジションなので、大将が他のメンバーのポジショニングを指示することや、サポーター、あるいは監督的な存在により、個々の役割を明示することもある。
しかしながら、サッカーやバスケットボールと異なり、短い競技時間内で状況が目まぐるしく変化する中で、外部からの指示を元にした修正や戦術変更はかなり難しい。セットの合間や大会の休憩という限られた時間で密度の高いコミュニケーションをすることで変更やブラッシュアップをせざるを得ない。良いチームはそれが盛んに行われている。

垂直統治よりも、ティール組織


目まぐるしく変化する状況、ゆっくりトライアンドエラーを試す余裕はなく、誰かの指示を待つのでもなく、瞬時に自分で判断しなくてはならない。そして、そのアクションの結果が勝利か敗北、どちらかへの結果に繋がっている。
まさに今の世のビジネスや社会の状況と酷似しているのではないだろうか。
目的を共有したチームがメンバーの特性を活かした役割に付き、それぞれが微調整や必要な際には大きな変化をしながら、全員で目的を達成する有機体になる。チームスポーツでは当たり前のことだが、長期的な訓練がなくとも、短時間の競技でそれが味わえることは意外と少ないかもしれない。その意味でまくら投げは稀有な競技だ。
よく言われる例だが、野球は監督の指示で選手の行動が決まる。ピッチャーはキャッチャーのサインで投げるボールを決める。いわゆる上意下達の組織である。攻守が完全に分かれているのが特徴だ。自分のペースで時間を運べる場合、上司が絶対に指示を間違えない場合は良いだろう。ひとつだけ例示すると、スコアボードにエラーという表示があることが興味深い。逆説的だが、エラーが起こりにくい競技という証拠だ。データを分析し、その通りになる環境であれば、野球的な組織運営は適しているかもしれない。
対して、サッカーは一度始まったら、ハーフタイムまでは具体的な指示の落とし込みはできない。攻守が目まぐるしく変化するため、その場その場で選手が考えて、行動を選択する。足を使う競技のため、ミスやエラーが多く、失敗への許容も高い。今時の組織論では素晴らしいように思えるが、問題点も見つけられる。点差が開いた場合には一発逆転は不可能という特徴もそのひとつ。つまり、差がついてしまった状況が長く続くと、モチベーションを上げるのが難しい。すなわち、リーダーに求められるのは適切な目標設定だ。
野球やサッカーの話ではないので、ここで止めて、まくら投げに話を戻す。
まくら投げは攻守が同時に行われている競技だ。攻めながら守らなくてはならない。ポジションによっての違いもあるが、自分がやられることと大将がやられることを常に同時に考えている必要がある。
特別な状況として、先生が来たぞコールの後など、自軍に全ての枕がある、あるいは自軍から枕がなくなるという一時的に完全な攻めの状態、あるいは守りの状態が生まれることもあり、攻守の状況にかなりのバリエーションがある。
それでいて、フィールドが狭いため、試合中に敵味方を問わずコミュニケーションを取ることもできる。ある程度、長いコミュニケーションを取れるのはセットとセットの間であるが、それでも1、2分が良いところ。ダラダラと話すコミュニケーションスキルではなく、短時間で修正ができ、端的に伝えることを取捨選択し、瞬時に修正する能力が必要だ。具体的にはポジションの変更、フィールド内での役割の調整、先生が来たぞコール使用のパーセンテージなど、各人が情報を


4 これからのまくら投げ

初期から(正確には第二回から)まくら投げに参加していて、競技としてのルールや運営は完成、成熟したと言える。第三回くらいまでは様々なルール変更があったが、今は大きなルール改定はない。同時にある程度の攻略法も生まれるため、今後もし劇的な変化があるとしたら、突出した個の存在か、イノベーティブな方法論だろう。イノベーティブな方法論とはサッカーにおけるアリゴ・サッキが率いたACミランのプレッシングスタイルのような、それ以前の戦術家が思いつかなかった革命的な方法の実践だが、簡単に思いつくことはないだろう。
場合によっては、野球の王貞治さんを攻略するための王シフトのようなオプション的なものは生まれるかもしれない。
付け加えると結果論ではあるが、今年、前年度優勝チームが二連覇を達成した。これもある意味、戦術面でも成熟を示唆しているだろう。

競技内ではイノベーションは起きないだろうというのが私の見解であるが、イノベーションなきものは衰退する宿命。つまり、現状のままではまくら投げは徐々にシュリンクするフェーズに突入している。
先程、私はイノベーションは起きないと買いたが、それは競技内の話であり、競技の外、あるいは競技のありかたを変化させることは可能だと信じている。

以下、具体的なアイデアを書くが、そもそもまくら投げをどうしたいのかという方向性というか、目的が共有されていないため、あくまでもアイデアを出すに留める。

① 競技性を磨き上げる


全日本まくら投げ大会in伊東温泉の伊東を外す。
つまり、全日本まくら投げ大会in草津温泉、全日本まくら投げ大会in別府温泉など、全国の温泉地で開催する。もちろん温泉地にこだわる必要はない。どこでも良い。それによって、実際に体験する人数が増え、競技の魅力が伝わることは間違いない。参加チーム数、体験人数が増えれば、競技そのものの認知や価値の向上に繋がる。
そして、それに付随する効果として、競技におけるイノベーションが起こる可能性も上がるだろう。

② 伊東の観光コンテンツとして磨き上げる


まずは観光コンテンツとしての磨き上げを行う上での障害を考えたい。
まずは気軽な参加が難しいこと。この気軽というのは競技としてガチになりすぎているから、新規参入ハードルが高いということもあるが、それだけなら、エンジョイ大会を作るなどでも対応は可能に思われる。
そこだけではなく、気軽な参加が難しい理由は人数に起因する。バスケットボールやサッカーなどな工夫すれば、人数は何人でもできる。1対1、スリーオンスリー、なんなら、ひとりでもシュート練習やリフティングは楽しめるため、手軽に始めることもできるが、まくら投げはそれが難しい。
現在の競技スタイルから派生系を作り、2対2、1on1もできなくはないだろう。しかし、想像するにその場合、現在のまくら投げで得られる本質的な喜びや価値を感じることは難しい。

③プロモーションをもっとやる


ここで述べるプロモーションとはまくら投げ自体のプロモーションではなく、伊東市のプロモーションのことを指している。
まくら投げをきっかけに伊東を訪れた方が他の機会に伊東に来ているかはわからない。まくら投げの魅力は十分に伝わっても、伊東の魅力は伝わっている気がしない。
大会会場に観光ポスターやサイネージを流す、配布資料にチラシを封入するなど、目先で出来ることはたくさんあるはずだ。
まくら投げ大会を高校生が考案したときは「伊東に若者を誘客したい」というミッションのためだったと聞く。競技性として高まるに連れ、その部分が薄れていることも感じる。
初日で敗退したチームに観光施設のチケットを配ったり、せっかくの来訪機会に周遊の仕掛けを作っていないのは損失である。2日目もトーナメントで負けても、敗者復活的な数試合が保証されているため、周遊する時間的余裕を奪っているとも言える。
端的に言えば、まくら投げに来た人は伊東の魅力に触れたのか非常に怪しい。

④教育系コンテンツとしての可能性


修学旅行、ワーケーションなどの教育系コンテンツとしての価値は高い。
ルールを把握するのに少し難しいという負荷も学習には適しているし、旅行においての未知なる経験という価値も思い出になりやすい。
また、単なるレクリエーションというよりも、チームビルディング、コミュニケーションスキルの向上、ポジションローテーションによるジョブローテーションの模擬体験など、テーマ性を追うこともできる。テーマを設けることで、リピーターの獲得や本大会への招聘も考えることができる。
私自身も過去に何度かメディアの取材対応や大人のワーケーションなどでの受け入れをした経験では1、2チームの受け入れであれば、ルールの把握と動きに慣れるのに1時間、次の1時間ではチーム感の醸成や適材適所の実験、実践としての経験を積めるだろう。50人、100人単位となると、場所の問題や指導が行き届くかの課題もあるので、難しいこともあるが、運営側の人数を増やすなどすれば、対応可能である。
さらには体験カードやフィードバックタイムがあれば、より有意義なコンテンツになるだろう。

5 終わりに

『手段の目的化』か『目的の手段化』か

これからのまくら投げを論じた後にまとめると、今まで10年以上かけて完成形が提示されたコンテンツをどう活かすのか、俯瞰して捉えると
①観光のために埋まれたコンテンツを別の目的のための手段として活用する
②完成したコンテンツを改めて、観光コンテンツとして活用する
のふたつの方向性がある。
もちろん両立も可能ではないだろうか。
しかし、両立を選んだ場合にはリソース(広報などの金銭的なコスト、運営の人的コスト)が大きいため、知恵を絞る必要があるだろう。もちろん、知恵を絞るというのも多大な努力、つまりはリソースが求められる。
何のイベントにせよ、コンテンツにせよ、時間の経過によって岐路に立たされる。その時、どちらへ向かうのかを考え、決定し、力を発揮すること、それこそがまさにまくら投げという競技で培うことのできる能力であり、まくら投げ関係者に求められていることではないだろうか。

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