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正月の哲学的ゾンビ

この正月も、行きたくない実家へ行った。

ここ3年ほど、私は実家に寄りついていない。母が嫌いだからだ。年に一度、正月にだけ顔を出している。


私が母を嫌う理由は、母に自我が存在しないからだ。

私が母を嫌う理由は、母が嫁いびりをするからだ。

私が母を嫌う理由は、母が私の時間を際限なく奪うからだ。


家族について

私の実家は、私の自宅から電車で1時間ほどの場所にある。

私は、2017年の1月から2018年の12月まで、シェアハウスで暮らした。2年間、家族と離れて住んだ。

シェアハウスに住んだ表向きの理由は、通勤電車が辛かったからだ。

シェアハウスに住む前は、埼玉県草加市の自宅に、妻と息子と私3人で住んでいた。しかし、往復3時間の通勤時間がとても辛い。私は会社の近くのシェアハウスに住むことを決断した。

通勤電車が辛い、という理由で家族と離れて暮らす人は、多くはないだろう。さっき、表向きの理由、と書いた。私の中の真の理由は、私の家族の価値を確認したかった、というものだったような気がする。

私は、私と妻と息子、そして今は就職して離れて暮らしている娘の四人で家族を形成していた。その一方で、この家族を壊した方が幸せになるのではないか、という考えが頭にこびりついて離れなかった。

私にとっての幸せもそうだし、妻にとっての幸せもそうだ。息子にとっての幸せもそうだ。

そう考えるに至った大きな原因は私の母にある。

私の母は、私の妻に対して嫁いびりをしていた。私は妻を守ることができず、妻の苦痛について見て見ぬふりを通した。

いじめられていた私の妻は、辛かったはずだ。それに対して、見て見ぬふりをする私も、私なりに辛かった。その様子を見ていた息子も、嫌な気分を感じていただろう。

私は母の嫁いびりを、10年間も許容していた。そしてやっと、母を切り捨てる決断をした。

この決断にはとても長大な遠回りをした。私が私の母を切り捨てるには、私にとっての家族の価値を確認する必要があった。

私にとっての家族の価値。

家族を形成して生きるのが当たり前だ、という考えが、私の中にはあった。

考え、といっても、自分の思考によってできあがった考えではない。気がついたらその箱の中にいた、という表現がふさわしい。私は生まれた時には、父と母と姉と祖母がいた。気がついたらそこにいた。だから、そこではない世界を全く想像できなかった。

シェアハウスに住んで、私は産まれて初めて、家族を外から見た。そうすることで、私にとって、家族がどのような価値を持っているのか、よく理解できた。

私と妻が同じ場所に住むことの価値。私と息子が同じ場所に住むことの価値。妻が私と息子に夕食を作ってくれることの価値。自宅のリビングでテレビを見ながら、3人でたいした意味もない話をすることの価値。

私は、家を出て妻と息子と離れて住んで、私にとってのそれらの価値を、具体的な量を伴って把握できた。

私にとっての息子の存在の価値を理解したときには、驚いた。シェアハウスに住んで2年目になると、私は息子との時間を渇望するようになった。

一緒に住んでいるときは、このような気持ちにはならなかった。以前の私は、息子に対して、生きていてくれさえすれば何をしていてもいい、といった感情を持っているのだと思っていた。

しかし実際には違った。私は、息子の顔を見ることを渇望した。息子の顔を見なければ私は死んでしまう、と感じる渇望だった。

一方で、妻に会うことを心の底から望むことはなかった。妻に対しては、妻が不幸でないことだけを望んだ。会いたい、という欲求は発生しなかった。

私の娘は既に就職し、一人暮らしを始めている。大学入学から一人暮らしをしているから、娘が家を出て、もう7年ほどが経つ。

私は娘との時間を渇望したことがない。正月やお盆の時には、早く帰ってこないか、と気にはなる。けれども、渇望感を感じたことはない。

私には、私の感情の仕組みがわからない。息子と娘、それぞれと会う頻度を考えると、別居していたとはいえ息子と会う頻度の方がずっと多い。しかし私は、息子との時間は渇望し、娘との時間は渇望しなかった。

娘は、大学入学と就職という、社会通念上よくある状況で家を出た。そのために、私の中に納得感があったからなのかもしれない。

去年の正月に私は家族のもとに帰り、それから1年が過ぎた。

実家へ

実家に行くために、息子と電車に乗る。

私の実家に行くが、妻は連れて行かない。3年前から定まったルールだ。私は長い間、妻の苦しみを無視した。もう二度と、妻と母を会わせることはない。

実家に着き、私の定位置に座る。実家には壊れたマッサージチェアがある。そのマッサージチェアが、私の正月の定位置だ。

息子は、久しぶりの父との会話を楽しんでいるようだ。

私の父は言った。あと何回、翔太に会えるかな。
※翔太は息子の名。仮名。

私は、父を好ましく思っている。母への感情とは全く違う。もし母が死んでこの家からいなくなれば、私は翔太を連れて実家に顔を出すようになるだろう。

父は、私のこの感情を理解している。

父は一昨年に癌が見つかり、私に手紙を書いた。癌が見つかったから保険金が出る、だから受け取れ、という内容だった。

その時には、私はすでに母が嫌いだということを表明していた。この手紙を受け取って私は動揺し、一年ぶりに父の携帯へショートメッセージを送った。

父はスマートフォンが使えない。今もガラケーを使っている。電話番号で送るショートメッセージを送った。

そこに私の思いの丈を書いた。私が嫌いなのは母であって父ではない。妻と母を会わせることは絶対に避けるが、父には会いたいと思っている。

妻と息子にも、明示的に、父に会いたいかと確認した。会いたいという答えを得た上で、その旨のメッセージを送った。

私は、父はこの話に乗るだろう、と予想していた。母を除外して、父と私の家族3人で、とりあえずどこかでランチでも食べる。そんな展開を予想していた。

しかし、父からは拒絶の言葉が返ってきた。今はそっとしておいてくれ、とだけ、ショートメッセージが送られてきた。

私は、父の病状が今どのようになっているのか、全く知らない。この正月は、まだ生きていた。

父と母のつながり

私には、父の価値観がよくわからない。

父は母とよく喧嘩をしていた。仲が良い夫婦とはいえない。

仲が良くないのだから、その繋がりを保持しても、父にはメリットが無いように見える。だから、一時的とはいえ、父が私たち家族3人を拒絶したことは、私にとって予想しない出来事だった。

今の父にとって、母は有害な存在であるように思える。母がいるから私は実家に行かない。つまり、母がいるから父は翔太に会えない。

父は、あと何回翔太に会えるかな、という言葉をこの正月に発した。翔太に会いたいということだろう。その気持ちがあるのに、なぜ母を切り捨てないのか、私は不思議だ。

切り捨てる、と表現したが、大げさなことを求めているわけではない。ちょっと母に嘘をついて、ほんの数時間、家を抜け出して私の家族3人と食事をする。それだけのことだ。父は、その小さな嘘をつかず、無為に時間を消費している。

父と母には、私には見えない愛があるのだろうか。この二人の関係を、私は理解できない。

哲学的ゾンビ

母はこの正月、私にこんなことを言った。

かずお、お前にはあげたいお菓子がいっぱいあるんだよ。だからもっとたくさん家に帰って来い。
かずお、お前の家にガラスの器が二つあるはずだ。一昨年も去年も栗きんとんをやっただろう。それを入れていた器だよ。それを戻すためにもう一度家に来い。

お前は、なんでそんな薄っぺらい言葉しか言えないのか。自分の意思というものがない。遠回しな言い方は本当にうんざりする。

お前の意思を語れ。

この人には自分の意思がない。この人が発する言葉は、この人の言葉ではない。どこかの誰かが言った言葉をなぞっているだけだ。道徳の教科書に載っている価値観を翻訳して喋っているだけだ。この人の中には、なにもない。

お前の発した言葉に従ったところで、お前は満足しないし、私たちは疲れる。私たちは、お前の言葉で10年間を無駄にした。

哲学的ゾンビ、という言葉がある。自我や意思を持たない人間のことだ。人間のように振る舞うが、その中にはなにもない。

私の母は、哲学的ゾンビだ。

私の母は、おそらく、生きていない。ゾンビだ。なにかの価値観に操作されているだけのゾンビだ。産まれてから今まで、生きたことがない人間なのだろうと感じる。

私はうんうんと曖昧に相槌を打った。この要求に応えればまた新たな要求が降ってくるし、拒絶すれば怒ったり泣いたりする。曖昧に返事をして会話に内容を持たせないことが私にとっては最良の解だ。

今年の正月も、母には落胆し、父には申し訳なさを感じた。

だからといって、なにかをするつもりはない。

きっとこの二人は、このまま死んでいくのだろう。

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kazuo dobashi
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