心温まる殺人サイト
驚愕なサイトを知ってしまった。
「旦那デスノート」と呼ばれるサイトで、名前の通り、奥さんの怒りが蠢いていそうなネーミングである。
このサイト、旦那への不満が軽い気持ちで書かれているのかと思いきや、意外とそうではなく、投稿する人たちの経脈が深々と語られていて、ある意味、人間味の溢れるサイトだった。
旦那が憎いといっても、殺人は言語道断だし、サイト内で殺人をほう助する謳い文句もない。サイトの管理人曰く「愚痴や共感で済ませられるなら」という思いからソーシャルな空間を作ったという。
こどもは親の心情にとても敏感だ。
親の機嫌が日頃から悪いようだと、子どもの発育はどんどん悪くなることは知られている。ただし、親とて人の子。メンタル管理をしていても、子育てをしながら旦那の相手もしていれば、愚痴や不満は溜まっていくはず。
サイト内には、旦那の心無い一言や、子育てへの無関心さに苛立つコメントが多数投稿されていて、そういった感情の爆発が『子どもに向けられてしまう前に』といった願いが、管理人の想いに込められていた。
管理人のブログを読んでいて、感動したのは『子どもは、母親の笑顔で育まれ、父親の助言で大人になる』という文面。
確かにそうだと思う。私自身、ことばの虐待で幼年期を過ごした過去があるだけに、余計そう思う。
この絵を見てほしい。
これは「円枠家族描画法」といって、書き手の家族関係が描かれる投影法のひとつ。私が24歳ごろに描いた絵だ。
この絵に注目したいのは『目がない』こと。これは子ども目線からして「親は自分に関心がない」という心理状態らしい。
これには十分、思い当たりがある。
幼いころ、祖母から「人は必ず裏切る生き物だ」などと、人の怖さを叩きこまれ、両親の悪口を毎日聞かされ続けた。父親は酒飲みで帰宅せず、深夜にはルンルン気分で帰宅しても、酒の入っていない日はものすごく機嫌が悪かった。私がなにか相談をしても「自分で考えろ」の一点張り。長男として、男としてどう生きるべきなのか、日々、不安が募っていった。
辛かったのが、私が体調を壊し、夜中に悶えていると、親父が部屋から「うるせーな!」と怒号をかましてきたこと。このことは40歳を過ぎた今でも鮮明に覚えている。
もし父親が「大丈夫か!」などと親らしい存在を示す人物だったなら、もし、祖母が辛辣な物言いでなかったなら、私の人生のモラトリアムは存在していなかったかも知れない。
いまとなっては、たらればだが。
愚痴はなにも生まないというが、それは違うと思う。
聞き続ける側はシンドイけれど、相手の心の整理になるし、聴き方次第では相手との関係性が深められることだってある。愚痴は無益だとばかりに生産性を掛けてくる人は、余程よい環境で育った人なんだと思う。
「旦那デスノート」という、一見して相手を傷つけていそうなネーミングが、いまを生きる親たちの心の支えになっているというのは何とも皮肉。ただ、その支えによって子どもの将来が明るくなるのであれば、「心温まる殺人サイト」という見方もできるのかも知れない。
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