はせべコラムvol.24 感情の解像度が低いのは問題だって話と、簡単に形容しがたいものに魅力を感じている
社内向けに書いてる自分のつぶやきを転載します。
テーマは「感情の解像度が低いのは問題だって話と、簡単に形容しがたいものに魅力を感じている」
についてです。
よかったら読んでみてください。
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最近、ある友人と話してたんですが、日本人は、どんな体験に対しても、「面白い」「おいしい」と表現しますが、それは危ういのでは?って思っています。
上記の言葉の中には様々なニュアンスがあるにも関わらず、いっしょくたに一つの形容詞で括ってしまうことは、感情の解像度が低いことであるように思います。
なので、自分としてはある体験をした際に、面白いという言葉ですぐ片づけず、自分の感性をフル稼働させて言語化するよう努めています。
一方でクリエイションは、わかりやすい形容詞がつかないような曖昧なものが好きになってきています。
分かる人に分かればいいというニッチなものではなく一定のマスをターゲットにしているクリエイションにも関わらず、なんとも形容しがたい良さがあるもの、あの人はあれだよね、という特徴はでてくるけど、良さを言葉で伝えようとすると、どう伝えていいかわからない不思議さがあるもの。
例えば、だいぶバイアスかかってますが、ウォーホルやマーベルとかは分かりやすく魅力を伝えられるけど、マティスやゴダールって簡単に形容しがたい魅力があります。
※ ゴダールは頑張って言語化することさえ、無意味に感じるときがありますこの言葉にできないことの魅力。
言葉にできない部分があるから、空白の部分にそれぞれの解釈があったり、それぞれの楽しみ方を知ってもらえたりします。
簡単に言葉で説明できてしまうと、理解されすぎてすぐ消費されてしまう、言葉にできてしまう危うさも孕んでいます。
言語化しづらいものや解釈しづらい曖昧なものが好きなのは、広告としてわかりやすいアイコンや言葉に変換して売り続けている苦しさへの揺り戻しなのかもなと、思います。
とまぁ、普通なら簡単な言葉で形容しそうなあいまいなものを、なんとかして言語化しようと試みるある種のゲームをやっている感覚です。
芸術の領域というのは、人々に対して可能性を提示する神聖な行為。
自分がいつも気まぐれで言語化しようとするのは、その可能性の解像度を高めるための極めて恣意的な行為なのかもしれません。
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以上です。
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