これから来るJohnの波に乗り遅れるな!
こんがお!
どうも、苗輪和音です!
突然ですが、皆さんは John というアーティストを知っていますか?
Johnは、2019年4月に突如としてインターネット上に現れニコニコ動画とYouTubeにボーカロイド・初音ミクを使用したデビュー曲「インフェリオリティー」を投稿したと思ったら、デビューした4月の間に6曲もの楽曲を投稿し、そこから2020年8月投稿の「ミゼラブル」に至るまでの16ヶ月間、だいたい1ヶ月に1曲の物凄いスピードで自作のボカロ曲を投稿し、更に現在はJohn名義だけではなくソロプロジェクト『TOOBOE』を立ち上げ同じくインターネット発の注目シンガー・yamaへの楽曲提供を行ったりJohn本人が歌唱する楽曲「赫い夜」を投稿したりと精力的に活動をしている絶対に次に来るアーティストの一人です。
多分、というかほぼ確実に近い将来「John」の名前は現在よりもたくさんの人の目や耳に入ってくるだろうと思っています。もし来なかったら文句でもなんでもどうぞ!絶対に来るから!覚悟しとけよ!!!
というわけで今回は、これから絶対に来るアーティスト・Johnに対して僕が感じる魅力をお伝えしようと思います!
アーティスト・Johnの魅力とは?
①ポップでジャジーでロックな変幻自在の音色
まず、John氏の魅力の一つがこれだと思う。100万回再生を記録した名曲「春嵐」の様にどこかディスコミュージックを彷彿とさせ懐かしささえも感じられる音色を響かせたかと思うと「ミゼラブル」の様にプログレッシブなポップロックの音色をかき鳴らす事も出来るがそれにとどまらず「黑縁」の様な和の空気感やyamaに提供した「真っ白」の様にR&B的なバラードを描く事も出来る。そして、どの曲にも入っているJohn氏特有のジャジーなシンセサイザーの音色。
つまり、製作できる音楽のジャンルが幅広いのだ。もちろん現在プロの第一線やアマチュアで活動しているアーティストにも幅広いジャンルの音楽を作れる人は多い。ただ、John氏のジャンルの幅広さはどちらかというとプロの第一線で活躍しているタイプの幅広さだと思う。
いろんなジャンルの曲を作れるアーティストたちがインタビューなどで「パッと聴きで誰の曲なのかが分かりにくいと言われる事があった。」と言っているのを時々見る事がある。オールラウンダーで完璧に作れるがゆえにそのアーティストが持つ本来の個性が薄まってしまう事がよくあると言うのだ。僕は音楽制作に関してはド素人なので例えとして合っているのかは分からないが「友達の綺麗な字を頑張って真似て書いたら友達の字か自分の字か判別がつきにくくなった」みたいな物なのだろうか。
しかしJohn氏の曲はどれもパッと聴きでJohn氏の曲だと分かるのである。その理由は、前述したJohn氏特有のシンセサイザーの音色を含む全ての楽器(初音ミク含む)の音なのではないかと思う。
一度聴けば忘れないギターやベース、ドラムのビートの刻み方、ジャジーでポップでどこかR&Bな雰囲気のシンセサイザー、そして特徴的な「た」行の発音で歌う初音ミク。それらが全て合わさる事で一聴するだけで「Johnの曲だ!」と分かる様になっているのだ。
John氏のデビューする前の経歴などは一切不明だが、もし現在の活動をするより前に音楽に携わる活動を行なっていたとしたらデビュー曲「インフェリオリティー」のクオリティがとんでもなく高かったのも納得がいく。だがもし、現在の活動より前に一切音楽に携わる活動を行っていなかったとしたらそれはとんでもない実力と才能を持った新アーティストが現れた証左なのかもしれない。
②個性的かつ物語性のある歌詞
John氏の楽曲をそうたらしめている要素は、「一聴するだけで誰が作ったかが分かるメロディー」だけではない。もう一つあるのだ。
それがこの「個性的かつ物語性のある歌詞」である。
例えば、John氏の最初期の楽曲「ゾンビハレーション」の “往々にして人間は 大仰にして怠慢だ 采配ひとつで終焉だ 冗談なんて言えねぇな” や “タッタタッとステップ踏んで死ぬまで行こうぜ 月華上等 クラップ鳴らせ 死ぬまで行こうぜ” などかなり砕けた口語調でありながらも内容自体が砕けているわけではない、いわばヒップホップ的な歌詞に近いのではないかと思う。
そしてこの曲のテーマというか主人公は「ゾンビ」と形容されている事から本来なら “死ぬまで” なんて言葉が出てくるなんて事はないのである。だってもう死んでるんだから死にようがないのだ。
では何故ここでそんな歌詞が出てくるのか?その意味は聴き手それぞれの解釈に委ねられて然るべきだと思うのであえてここでは言及しないが、そういった考察の余地を残した「個性的かつ物語性のある歌詞」こそJohn氏の楽曲が愛される要素だと思う。
しかし考察の余地を残した歌詞は何もJohn氏だけの専売特許ではない。『詩』という文学が生まれた時から考察のしがいのある物なんか星の数ほどあるのだ。
特にJohn氏の出身ジャンルであるボカロ曲は最たる物で、2010年くらいからのボカロ界隈は考察しがいのある楽曲が好まれ流行になっていった。
その中で生まれた文化の代表作が「カゲプロ」や「悪ノシリーズ」などなのだがその話は今回は置いとくとして、なんにせよ「楽曲ひとつひとつのストーリー同士が共通した世界観で繋がっていてひとつの大きなストーリーになっていて作者から答えを提示される前に視聴者たちで考察をし全体の大きなストーリーを予測する」という文化が中高生などの若い世代にも広がっていったのだ。僕もちょうどその時期に学生でオタクだったのでそのムーブメントを実感していたし考察なんかもしていた。
ただこの文化は発展すれば発展していくにつれて「楽曲ありきではなくストーリーやキャラありき」になっていった。「この曲のこの部分がいいよね!」ではなく「この曲のこのキャラの心情ヤバいよね!」になったのだ。
この「楽曲が単体で持っている意味を考えるのではなく楽曲をあくまでピースとしてしか考えない」文化にだんだん違和感を覚えて徐々に離れていってしまったのだが、John氏の作る楽曲たちにはそれがない。
もっと具体的にいうと、John氏の楽曲はそれぞれに個別のキャラがいたり楽曲同士の繋がりがほのめかされる事はあるものの本当にほのめかされるだけで実際に繋がりがあるかは分からないという事。
これがあるからこそ視聴者はそれぞれの楽曲の歌詞が持つ世界観にのみ浸れるのである。
余談ではあるが、僕はyamaに提供した「真っ白」の “君の笑い方をそっと 本気で真似てみたけど 私には理解できない 君が現れただけ” という歌詞の文学性と情景と心情描写のセンスがずば抜けてると感じた。要はめちゃくちゃ好きなのである。他にも好きな歌詞はめちゃくちゃあるが言い出すとキリがなさすぎるのでやめておく。
この『ポップでジャジーでロックな変幻自在の音色』と『個性的かつ物語性のある歌詞』の二つはあくまで僕が感じていたりYouTubeなどのコメント欄に多くみられるものをまとめただけに過ぎない。たくさんのアーティストたちと同様に聴く人の数だけ魅力があるのだ。
今回の記事で少しでも気になった人はこの下のリンクから今すぐJohn氏の作り出す音楽の世界に浸ってみよう!!!
今回は元々別の記事書こうと思ってたんですけど、昨日寝る前に「赫い夜」が投稿されて衝撃を受けたので急遽用意してた内容を変更して書きました。
衝動に任せて書きつづったので読みにくい部分があればごめんなさい!途中で文体が変わったのは文章の雰囲気に合わせてなので文体が変わったところで喋ってる人が変わったくらいに考えてください!これ直すのめんどくさいので!というかあくまで趣味なので!許してちょんまげ!
それじゃ、おつがお〜!
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