世界自閉症啓発デーに寄せて(2021年4月1日の日記)
数日前に息子が8歳になりました。
ということは、私と夫が親になって8年が経ったということです。
息子の子育てを通じて、世界を見るときの解像度がぐっと高くなりました。
今まで息をするように無意識で無自覚だったたくさんの事に気づけるようになりました。
そして自分の「持って生まれたもの」がいかに恵まれていたのかということ、私が努力して自分の力で成し遂げたと思っていたものはその実ほとんど私の努力ではなく、私の生まれつきの能力と環境によるものだったのだと理解できるようになりました。
なぜ挨拶が大事なのか。
話を聞くには何が必要か。
言いたいことを言うのがいかに難しいか。
文字を文字と理解するとはどういうことか。
文章を読むことはいかに難しいか。
片足立ちをすることがいかに難しいか。
味や食感の異なる食材を同時に食べることがどれだけ怖いか。
なぜ学校に毎日行かなければならないか。
なぜ運動会の練習を毎日やらねばならないのか。
人の気持ちを考えるとはどういうことか。
世の中のあらゆることに忖度なんて一切しない息子に「ぼーっと生きてんじゃねーよ!」と突きつけられ続ける毎日です。
この写真は息子が動物園で撮影したペンギンの水槽です。
泳いでいるペンギンを追いかける子どもたちの横で、彼はこういう揺れる水と光の模様や水の中に落ちた木の芽がどのように渦巻いて振る舞うか、そういうのをじっと見ています。
世界がいかに美しく、煩く、複雑で、怖いものか、息子に教えられる日々です。
明日4/2は世界自閉症啓発デーです。
マスクをしていない子、ヘッドホンやイヤホンを付けていたりする子、もしかしたら感覚過敏なのかもしれません。
電車の中で車掌の物真似をしていてそれが上手い人、その定型アナウンスを言うことで安心しているのかもしれません。
話が通じない人は、その根底にある暗黙の了解を理解できていないかもしれません。
冗談が通じなかったり気が利かなったりする人は、言葉を字義通りにしか捉えていないからかもしれません。
すぐ体調不良になる人は、普段周りに合わせすぎて疲れやすいのかもしれません。
自閉症は、正しくは「自閉スペクトラム症」と言います。
自閉症はひとくくりにできるものでも、健常者と区別できる物でもなく、誰でもその特性を少しは持っているもので、しかも特性はさまざまです。
線引きは難しいけれど、人口の約1割が「(診断はなくとも)自閉症っぽい」と言われているので、自閉症者と接したことのない人はほぼいないでしょう。
それだけありふれた障害です。
彼らの独特な世界観、強すぎる個性に、多くの人が寛容になってほしいと願ってやみません。