「三菱の至宝展」に行ったら三菱創業四代のことが知りたくなった④小彌太編

三菱の至宝展は9/12に無事最終日を迎えました。直前に開催されたコンスタブル展が会期途中で臨時閉館したまま再開することなく閉幕を迎えたので、今回ももしかすると・・・・・・とは思っていましたが、無事完走したということでひとまず安心しました。

もう展示を見ることはできませんが、鑑賞後の事後学習ということで最後まで書いていこうと思います。ちなみに、静嘉堂の展示ギャラリーは2022年秋に現在の三菱生命館1階に移転することになっています。丸の内の三菱一号館と三菱生命館を舞台に今後も三菱の至宝がお披露目されることになるのでしょうか。たのしみですね。

4代目 岩崎小彌太

第2代岩崎彌之助の長男として生まれた小彌太はケンブリッジ大学を卒業し帰国すると、父が集めたコレクションの整理作業に着手し、これにより静嘉堂文庫の資料整理が急速に進展することになります。また、清王朝の崩壊によって中国から流出した唐三彩、宋磁などにも興味を示しました。

関東大震災で小彌太の邸宅も被災し、夫婦でしばらく京都に滞在することを余儀なくされた小彌太は、京都で表千家12代惺斎などに師事し、茶道具への関心を深めました。

父のコレクションを整理するとともに自らも美術工芸品の収集に努めた小彌太ですが、曜変天目に関しては「天下の名器を私に用うべからず」として生前に使用することはありませんでした。自らの収集品が天下、すなわち世界全体にとっての至宝であり、私有するからといって個人が用いるべきものではないと説いた小彌太の姿勢は、残された作品群を鑑賞する私たちへのメッセージのようにも感じられます。

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