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日々書き物と向き合う大学院生が改めて書くことについて考えてみた①:書き物は〇〇ではない編

はじめに

先日、集中講義を踏まえた課題レポートの筆が思うように進まなかったのをきっかけに、改めて書くという作業について考えてみました。学生という身分がゆえ、書き物をする量は一般的な人よりも多いと思います。いまも、修論に向けた自分の書き物、バイト先で命じられた資料作成、申請書の提出に向けた準備などなど、複数の書き物タスクを抱えて書き物に取り組む日々ですが、それでもふと筆が進まなくなることもあるわけです。

「何を書いたらいいのかわからない」、「コンテンツはあるが文章にできない」といったことは書き物をする人であれば誰も経験のすることだと思います。今回は内容をいくつかに分けて書くことについて改めて考えてみたいと思います。

書き物は〇〇ではない

まず最初に「書き物」についてざっくりと整理しておきたいと思います。単に書き物と言ってもたくさんの種類が存在しますが、ここでは自分の意見や主張を論理的に伝えるための文章について考えていこうと思います。単純に自分がそういった書き物の数をこなしてきたからでもありますし、そういった書き物は才能や気分に左右されずに書き続ける事ができる、つまりある種の技術として身につけることができると思っているからでもあります。

したがって、これから考えていく書き物は以下のようなものではありません。

その1:書き物は突然降ってきたアイディアではない。

書き物をするうえで「乗り気じゃない」とか、「アイディアが沸かない」とつい言い訳をしたくなる気持ちは痛いほど分かりますが、これから考えるのは「書き物に向けた気分を上げる方法」や 「降ってきたアイディアを逃さずキャッチする方法」ではありません。

そもそも、書き物は浮き沈みするような気分やなんとなく降ってきたアイディアで消化できるようなタスクではありません。気分がどうであれ手を動かせば書き物は文字数になって返ってきます。奇抜なアイディアがなくても書くべきことはあらかじめ与えられていることのほうが多いです。

その2:書き物は気持ちを吐露する場所ではない。

もちろん、気持ちを吐露する書き物も存在します。手紙、詩、日記といったジャンルはまさに書き手の気持ちを言葉に込めて綴った書き物ですが、ここで扱うのはそういった書き物ではなく、何らかの主張やテーマを論理的に伝える書き物です。

気持ちを吐露する場所ではありませんから、自分語りをする場所であるわけがありません。しかしながら、自分語りをしているときというのは筆が気持ちよく進みやすいので注意が必要です。個人の主張だけをぶつける場合、論理的な裏付けや筋書きはそこまで重視されません。共感する人が集まり、共感できない人は距離を取ればいいだけなので問題になりません。しかしながら、自分語りが行き過ぎるとよろしくない文章も存在します。論文という媒体はまさにその代表的な存在ですが、他にも企画書やプレゼン案といった合意を取りに行くための書き物も自分語りだけではいけません。こういった文章では、共感を訴えるだけではなく、相手に理解してもらい、納得を得ることが重要です。

その3:書き物は書き物だけで完結するものではない。

残念ではありますが書くという意気込みをだけで原稿用紙に向かったり、ワープロソフトと相対したところですぐに書けるわけではないというのが現実です。アウトプットのためにはある程度のインプットや考え事をしたうえで、頭の中をが整理された状態にしておく必要があります。

研究論文であれば、書くという作業は比較的終盤になって登場する工程です。そこに至るまでに、同じような領域で研究を行う仲間たちとの議論があったり、研究会での発表があったり、学会のポスターセッションに出てみたりと、いろいろな方法で着想を育てていくプロセスがあります。このような過程を経ることによって、自分の中のアイディアが育ち、洗練されていくとともに、書く上で必要な要素が絞り込まれていきます。

突然書くことはできないと言うと残念に思うかと思いますが、書くという作業に至るまでのプロセスが何よりも創造的で刺激に満ち溢れ、新しい出会いや発想に出くわす素晴らしいチャンスです。ありあわせのネタを組み合わせて書けるということも現実的には大事なスキルだったりしますが、書くという作業に至るまでの過程も含めて書き物であると思っていれば、書き物をするたびにそれが自分の成長につながっていくはずです。

まとめ

ここまで「書き物は〇〇ではない」ということで、これから考えていく書き物がどのようなものかについて簡単な定義を考えてきました。これらは私が書き物をする際にチェック項目として設けていることでもあります。アイディア止まりになっていないか?、自分語りに終止していないか?、ベースになってるインプットや考え事は足りているか?ということは、基本的な項目ですが外すことのできないことだと思います。

ただし、実際のところこういった文章は長い文章になりません。アイディアだけや十分な考え事なしで長い文章が書けないのは当然ですが、感情の吐露というのもそれほど長く続くものではありません。書くことにぶつけられる程の感情を抱えて書いていると、書き上がる前に疲れてきてしまいます。

ですから、途中で書けないとなった場合、アイディア止まり、自分語り、考え事不足を再チェックすることをおすすめします。唯一、自分語りは人によって長大な文章が書けてしまうこともあるかもしれませんが、読み返せば分かるはずです。たいてい、気恥ずかしくて読み返していられません。

しかし、「~~は〇〇ではない」という否定をどれだけ繰り返したところで、「~~は✕✕である」というスッキリとした定義を導くことはできません。次回は「書き物は〇〇である」というテーマでより具体的に書き物の輪郭を描き出すことに挑戦しようと思います。

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