日々書き物と向き合う大学院生が改めて書き物について考えてみた②:書き物とは○○である編
前回は「書き物は○○ではない」というテーマで書き物の定義について考えてみました。
その結果、書き物は・・・・・・
・突然振ってきたアイディアではない
・気持ちを吐露する場所ではない
・書き物だけで完結するのではない
ということになりました。では、書き物とは一体なになのか。端的に言えば、前回投稿の冒頭で書いたとおり「自分の意見や主張を論理的に伝えるための文章」を生成するための行為やその技術ということになると思いますが、今回は「書き物とは〇〇である」というテーマでより具体的な書き物の輪郭を描いていけたらと思います。
その1:書き物とは主張(目的)+ 補強である。
あらゆる書き物には主張ないしは目的が存在します。書き物をするのは、単位取得のためかもしれませんし、卒業をかけているかもしれません。あるいは、新規の契約を取りに行くための企画書を練っているかもしれませんし、新しいサービスに向けたプレゼン資料を作っているかもしれません。いずれにしても、書き物には主張や目的が存在します。しかし、それだけで終わってはいけないのが書きものです。
書き物は主張・目的を支える補強を備えてはじめて成り立ちます。補強は論理的な説明と言いかえてもいいかもしれません。先行事例や統計情報、メリット・デメリットなどを整理することによって書き物が持つ主張・目的をより強固なものとし、相手にうまく伝えることが必要です。
その2:書き物とは筋書きとその派生物である。
書き物は主張+補強と書きましたが、主張+補強は適切な筋書きに沿って展開される必要があります。筋書きはストーリーと言い換えてもいいでしょう。書き物の内容に対して「新しさ」を感じるとき、それは新しい主張の書き物である場合と新しい筋書きの書き物といいう場合があります。それくらい、筋書きを考えることは重要です。
筋書きがない文章は思いつきのアイディア頼りで十分な補強ができていなかったり、自分語りに終始してしまったりと危険が伴います。具体的にどのように筋書きを構築するのかについては1つの投稿でまとめてみようと思いますが、筋書きは書き物にとって非常に重要です。
その3:書き物には〆切が存在する。
日記や手帖をつけているのであれば誰かに締め切りを指定されることはありませんが、ここで扱う書き物にはたいてい締切がつきまといます。そして、この締切が書き手を苦しめ、書くことを焦らせ、書くことを苦痛なものへと仕立て上げていきます。これはあまり歓迎すべきことではありません。
ですから、書き物にとって締め切りをマネジメントすることは非常に重要です。どれだけの傑作を書き上げたところで、締切が過ぎてしまえば無駄になってしまいます。もちろん、次の出番まで温めておくことはできますが、次の出番が来る頃には自分の考えも変わり、テーマを取り巻く状況も変わり、結局大きく書き直さざるを得ないことが大半です。
卒論の時期になると「終わった論文が良い論文。完璧よりも完成を目指せ!」といったツイートがよく流れてきますが、これは論文以外の書き物にも当てはまります。殊に最近は書類や申請書の類も電子提出が主流になり、送信側のトラブルなどは一切考慮せずに指定された時間になった瞬間に〆切ということも多くなりました。〆切は大切です。
まとめ
ここまでをまとめると、書き物とは・・・・・・
主張(目的)を設定し、時間的制約の中でそれらを補強する要素を論理的破綻のない筋書きに沿って並べる作業である。
ということができるでしょう。
もちろん、これはすべての書き物に当てはまる定義ではありません。ダダイストであるツァラやブルトンの文章に論理的な筋書きを求めることはナンセンスです。彼らの書く文章は芸術作品であり、彼らの内部から湧き上がってくるなにかに突き動かされて書いているものです。同様に、紫式部の日記にツッコミを入れるのは読み手の自由ですが、何らかのトレーニングを積んだところで本能的に生み出されたダダイストのような文章を書くことは難しでしょう。そもそも、練習によって獲得できるような技術や習慣に支えられた行為ではないのだから当然のことのようにも思えます。
一方、トレーニングによって書きやすくなる書き物も存在します。論理的に筋書きを考えるのは一種の技術ですし、どのようなデータや先行事例が自らの主張を支えてくれるのかを見極めるのも技術です。これから考えていくのは書き物とその技術についてです。
次回は「書き物とは主張(目的)+ 補強である」についてもう少し詳しく考えてみたいと思います。