狂気の桜・・・。
ソメイヨシノが満開である。
といっても先日記事に上げた、家の中に生けられた数本の枝に宿っている命たちである。
不思議である。
花びらのひとつひとつは白といってもいいのに、高い木の枝に咲き誇っている花たちはいつも薄っすらと桃色に見える。
早い午後、私は表にいた。
まだほとんどが蕾のソメイヨシノの大木の近くで看板を取り付けていた。
7年ぶりに新しくした仕事場の看板である。
あれ?
ふと背後でそんな声がした。
通り過ぎたと思った自転車のおじさんが戻ってきた。
そんな様子を目の端でとらえながらも無視して私は、看板のワイヤーをくりくりとまわしている。
違う木かと思ったら同じ木の枝なんだなあ
思わず振り替えるとおじさんは自転車を降りて、桜の木を見上げていた。
どうやら咲き始めているソメイヨシノと、まだ固い蕾の桜は違う木から出たものだと思ったらしい。
もう何年くらいかね~?
私に聞くともなく話しかけてくるおじさん。
さあ~?
私はやっと看板から目を離した。
私が越して来たときにはもうありましたから。
その声におじさんは自転車を押しながら近づいてきた。何か作業をしてきたのだろうか、白いシャツに汚れてヨレっとした綿パン。
キョーキだね……..のときは
?
私はうまく聞き取れないでいた。
満開の桜にはキョーキを感じるよ。
ああ、狂気ですか。
春先の穏やかな午後。桜の枝は狂気とはかけ離れてのんびりと揺れている。
ところがおじさんの言葉に突然、私の体にその"狂気”な記憶が蘇ってきたのである。
かつてそんな感覚に襲われたことがあった。
確かに。満開の桜の狂気・・・。
例えば満開の夜桜とか。
勢いよく咲いてあっという間に散りゆくこととか。
カナダトロントのハイパークで満開の桜を見ても絶対感じないであろうその気配。
そんな感覚が私の体の中にもかつてあったことが思い出された。
そんな私の気持ちをよそにおじさんは色々な話をしてくる。
近くの公園で野草の会があって参加していること。
先日は山吹を持って帰ってきたこと。
生け花もしていると。そういいながら千両が生けられたスマホの写真を見せてくれる。
それから、それから
空手をしてろっ骨を折ったとか。
早い定年退職をして自由にしているとか。
妻は文句を言わないが夜12時までに帰宅しなければならないとか。遅れると玄関先で仁王立ちしているとか。
そして私が取り付けている看板にカナダの国旗があるのを見て
バンクーバーにゴルフに行ったことがあるとか。
そしてしばし精神を病んでいたとか。
止まりそうにないおしゃべりだったが、私が看板の取り付けが終わったのを見るとおじさんは、せっかく話す機会があったからと自転車のかごに入っていたものを私に差し出した。
そこ、商店街の肉屋で買ったんだ。
いえいえ、せっかくご自分のために買われたんですから。
私は固辞した、が
いいんだいいんだ。
そういって包みは私の手のひらにポンと乗った。
ほの温かい。
じゃあそのお返しにと、私は急いで家の中に戻り玄関先に生けてあった桜の枝を持って出ておじさんに渡した。
ああ~いいね~!
おじさんは桜の花を見て心底嬉しそうな顔をした。
(狂気の満開ですが・・)声には出さなかったけど(笑)
おじさんは桜の枝を自転車の前かごに挿すと
神田川超えたすぐのところに住んでるんだ。
そういってひらりと自転車に乗り坂を下って行った。
なんか不思議なおじさんだった。
家の中に入って包みを開けるとお肉屋さんのコロッケがひとつ。
そしてそれとは別の包みに大判焼きが二つ。
クリーム入りの。
商店街のかどっこのお店で買ったに違いない。
奥様の分もあったのではと思う。
そういえば
カナダと聞いておじさんは
カナダって何人が住んでるんですか?
そんなこと聞いてきた。
私はどんな答えを求められているのかがわからず返答に窮していると
原住民の人いるんですよね?
あ、そこ?と思いながら私は、そうですね、もともと住んでられた方も色々な国から移住されてきた方も。
なんだかおじさんの不思議な世界にクスッとなって私はまだ温かいクリームの大判焼きを食べた。
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