サくら&りんゴ #117 長いトンネルを抜けて
満開になった直後に大雨。
桜の花びらは散り散りになった。
ソメイヨシノは儚い薄桃色を失いつつガクのワイン色にとってかわる。しかしそれもつかの間、枝先から出てくるのは新緑。
私はその早緑がかなり好き。
新しい命を感じるから。
さて、所用で羽田空港まで行った。
以前はここからカナダに飛び経ち、そして戻って来た。トロントとの直行便があってとても便利だったのに、感染症拡大後この便はいまだ再開していない。
山手トンネルが出来たことも羽田空港が一段と便利になった理由でもあった。自宅からは首都高にのるとすぐこの山手トンネルへの分岐がある。
時に夫を迎えに
時に娘の見送りに
時に夫と二人で
通り抜けた山手トンネル
そんな
これやあれやを思い出しながらの空港からの帰り道。
あら?
やっぱりどこかで常にヌケている私である。
トンネルの出口をすっかり忘れてしまっているのだ
どこだったかしら?
考えていいるうちに高井戸出口を通り過ぎてしまった。
あらま~
この次の出口は?
するとすぐ表示があると思いきや、ちっとも見えてこないではないか。
実はこの山手トンネル
長~い上にカーブが多く、運転すると地味に怖い。
はて?いったいどこまで行ってしまうやら?
しばらくの間、表示もなければ分岐もなく、思考がすっかりトンネルにハマってしまう私である。
ようやく見えたのは西池袋の表示。
やれやれ、地上に出ることができる。
トンネルから上がるとそこは、思い出せそうで思い出せない場所ではないか。
これってどこだっけ?
そもそも西池袋の出口なんてあった?
視野に入って来る建物や標識をキーワードに、頭の中では目まぐるしい検索がかかっている。
そして見えて来たのが
要町通り
あ~ここ!
そこはかつて住んで慣れ親しんでいた通りである。
要町通りに並行して地下では有楽町線が走っていて、その千川駅近くそして隣の駅の小竹向原と移り住んだ。
もう30年近く前のことである。
すると要町通りと山手通りの交差点近くで、買い物荷物いっぱいの自転車でこけそうになったことや、千川駅前にあったラブホテルの名前まで頭に浮かんで来るではないか。
いったいこのどうでもいい記憶はどこに格納されていたのか。
ラブホテルの名前まで覚えていたなんて。その看板はすっかり色あせてしまっているけど。
急に可笑しくなった。
自分の物のはずなのに自分でコントロールできていない記憶。
自分の意思で覚えたり思い出したりしているつもりだったのに。
思った以上にヤツは自分のものではなかった。
要町通りの一瞬のトンネルを抜けて環七に折れる。
夫の魂がその体を離れた瞬間の映像をずっと忘れられないでいた。でも山手トンネルを出て要町通りを見た時、ふとその捉われた長い長いトンネルからようやく抜けることができたような感覚になった。
そのうち私の体が勝手にその映像を、どこかに格納してしまうに違いない。
桜は散っても空気はひんやりとしている。
でも早緑の季節は確実にすぐそこまできている。
カナダ帰国の準備を始めなければならない。
ところで山手トンネルは日本で一番長い道路トンネルで、世界でもノルウェーのラルダールトンネルに次ぐ二番目の長さらしい。
どおりでちっとも出口が見えてこなかったはずだ(笑)