サくら&りんゴ #118 母と娘と規格外認定印
カナダ帰国を前に、やっておくことがわんさかある。
そういう時に限って友人に会っておきたくなる。
娘アーニャの親友マーヤ。そしてそのお母さん。アーニャとマーヤは中高時代からの親友である。母娘X2で会うのは久しぶりだ。
そもそも母たちが話をするようになったのは、保護者会後の学バスの中で。そのうち、続きは何か飲みながらとお店に寄るようになって。しかしだからと言って二人でどこかに出かけたことはなく、あくまでアーニャのママとマーヤのママ。
おしゃべりの内容は
娘たちの学校の事、成績の事、娘たちの将来の事そして娘の弟の事。
それぞれの娘は共に、二年と離れない年の近い弟がいた。
あの頃は本当に悩んだわ
マーヤの母がマメ皿のひとつにお箸を伸ばしながら言った。
この日私たち四人は和食レストランの個室を取って再会を果たしたのである。娘たちは今も始終会っていて、だから娘から聞く話で母はお互いの近況を知っている。
全く手を焼いてどうしていいかわからなかったわ
マーヤの母が続けた。娘、それ以上に弟が母の規格外だったのである。
私もしかり。
そしてマメ皿をつつきながら娘たちが声を揃えて言ったのが
当時の弟たちを見て思ったこと。
こうしておけば怒られないのに、なんでそんな風にするんだろう?
これには母ふたりして笑った。
こうすることになっているのになぜそうしない?
そこで私は気づくのである。
私自身が、こうすることになっているという私の母の規格外であったことに。
そして私たち母は娘たちを前にして気づくである。
自分の狭い世界で養われた価値観だけでこうすることになっていると、子供たちには押し付けられない事に
むしろ親の規格外に育つ方が、時代に沿っているのかもしれない。
海外から日本に戻ると、こうすることになっていることが余りに多すぎた。のちに私がアメリカ人の夫と再婚して、カナダに住むようになってからも日本のこうすることになっていることを引きずっていたら夫が
そんなこと誰も気にしちゃいないよ!
そう言ったものである。
しかし身に付いてきた、こうすることになっていることへの捉われは私を苦しめて
それは
こうすることになっているのに私は子供たちのためにやってあげられていない
そういう思いである。
それはつまり、こうすることになっていることをやって来た親の世代に育てられて、こうすることになっているということを知っていながら、それを子供たちにしてこなかったという思いである、ややこしいけど(笑)
母や姉からの嵐のような責めがそれに拍車をかけていた。
そんなことする必要なくない?
アーニャがマメ皿をつつきながら言った。
そうしたくないのにわざわざ?ママにそうして欲しいと思ったことないよ。
こうすることになっていることなど、たかが狭い世界の一瞬の時代のことであった。
こうすることになっていることをしたいと思うのは、私のわがままだったのかもしれない。こうすることになっていることをしないでいること以上に。ややこしいけど(笑)
母たちの娘と息子たちは今、それぞれ四人四様(笑)に、まったく違う道を歩んでいる。今やっと母は規格外認定印を拍手と共に子供たちに押すことができる。
こうすることになっていることをしなくてはいけない
こうすることになっているのにしていない
こうすることになっているのにやってあげられない
悩む必要のないことで悩んできた。
マメ皿9種のあとは優しい出汁で食べる鯛茶漬け。いぶりがっこという細かく刻んだお漬物が一緒に出てきた。大根を燻した物で最近人気らしい。
しばし母娘x2はおしゃべりを止めて出汁の味を堪能する。娘たちもそんな年代になっている。
時は経った
かつて娘たちが利用していた学バスが発車するターミナル駅は様変わりし、停車場所を探さなければいけなくなっていた。
前の位置だと列の後ろの方がビヤードパパ(シュークリームのお店)の前になってちょうど買えたんだよね
先輩が買ってるの見て、誰かがチクってたよね
デザートの抹茶アイスを口に運びながら娘たちが笑う。
ビヤードパパのカスタードクリームから時は経ち娘たちは
母からの規格外認定印をそれぞれに携え
自分たちの時代を生き始めている
いや、とっくの前からそうしていたのだ
母が気づいていなかっただけで。
日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。