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クリスマスの思い出

11月も終わりに近づくと
地下からカーン、カンカランと音が聞こえてくる。

夫が建築に使った材木の切れ端をスティック状に割ってキンドリングを作っているのだ。それは薪を焚くときの火付けに使うものである。

その頃になると薪はすでに玄関先に積み上げられていたものだ。

初秋には床暖房が入り家の中は一定の温度に保たれる。
しかし薪ストーブの心地よさは格別だ。
どんな時も私たちの心までぽかぽかと温めてくれるのだから。

ある年夫は心臓を病み、病状はアップダウンを繰り返すようになった。調子のいい時はいくらでも生きる勢いだが、一旦落ちるともう一瞬先のことはわからない。
薪を割るどころかキンドリングを作ることもできなくなった。

12月に入ると私は仕事の都合でどうしても東京に戻らなくてはならなくなった。5日間の一時帰国は多忙の極みでカナダの湖畔の家に戻ると39度近い熱を出してしまった。空港か機内で風邪を拾ってきたのかもしれない。
そう思っていたら夫も当たりまえのように感染し、肺炎になり抗生剤が投与された。(2019年のことで、後に友人にコロナだったのでは言われる。その名前を知る直前のことである)
熱にうなされ夫は頻繁にうわごとを言うようになった。
真夜中に
Help helpと声がするので見に行くと夫は真顔で話があると言う。
そして
もう4日以上も痛みがないのに、どうしてこの施設に収容されているのかと聞くのだ。
私は驚いて、ここは病院ではなく自宅だと言うと夫は怪訝な顔になった。

熱が下がった後も夫の混乱は続いて
誰かが自分を空港まで連れて行き何かを飲ませたと言い出した。そしてそれっきり意識がなくなってしまったのだと。どこの空港かと聞くと答えは曖昧になった。
ピアソン(Pearson いつも利用するトロントの空港)? それとも羽田?と言うと夫は
ナリタ
と答えた。
そういえば私たちが初めて会ったのは成田空港の到着ゲイトだった。

私は夫をそっと抱きしめた。
でもそれはもう
私が知る夫ではなかった。
体がそこにあっても
私の夫はもうそこにいなことがわかった。

生と死の境は一線だと思っていたが、ひょっとしたらそうではないのかもしれない。

どんなに弱っても夫はこの体にいたのに
どんなに呼吸が苦しくても夫は私を見つめ私のそばにいたのに
どんなに怒りまくっていても心は確かにここにあったのに

それなのに2,3日前から夫は私のそばからすぅーっといなくなったのだ。

私の夫の魂がもうこの体にない。
その感覚は目に見える物だけへの信頼が私の中で崩れかけていることを確信させた。

数日すると夫は奇跡的に体力を取り戻した。
そしてピザを作ろうと言い出した。トッピングに必要なものをさっそく書き始めている。

ジェノアのサラミ
パルマのプロシュート
ハニーハム
ペペロンチーノ
プラバーノチーズ
そしてもちろんモツァレラ

夫はウキウキしていた。

トマトペーストは食品庫にあった?
バジルとパセリも忘れないように。
クッキング用の玉ねぎはある?
玉ねぎは炒めるんだよ、トッピングの前に。
パプリカは緑と赤の両方。マッシュルームもね。

必要なものが次から次へと頭に浮かんでくるようであった。
近くのスーパーで生のピザ生地を売っているのでそれも買ってきた。

ピザ生地を伸ばす私を見て夫が言った。

I have an incredible wife

その目は森の奥のような深い深い緑色をしていた。
夫の魂が再びここに戻ってきたのだ。

トッピングが多すぎるピザは重くて、持ち上げると口に入るまでに具が落ちていく。私はそれが面白くて笑いながら食べた。

近所に住むマークとリタが、毎年恒例となっている手作りクリスマスクッキーを持ってきてくれた。

ほとんどマークが作っている

夫の在宅緩和ケアを助けてくれるパーソナル・サポート・ワーカー(PSW)であるマーガレットはシュトーレンを持ってきてくれた。可愛いクリスマスカードと共に

マーガレットは元ERのナースさんで夫の在宅緩和ケアの時
どれほど頼りになったか知れない

ところがクリスマスを直前に夫の容態は再びストンと落ちた。

もうこれが最後かもしれなかった。

それでもクリスマス・イブ、夫はかろうじて身を起こしふたりで食事をすることができた。
顔色は蝋人形のように冷たかった。
ローストしたターキーをひとくち、マッシュドポテトをひとくち。
ビールやワインが欲しいというので、いつものハニーブラウン、先日買ったオンタリオのシャルドネ、そしてレッドブリューを次々と開けた。全部飲み干すわけではない。ひと口ふた口飲んで、顔をしかめ、もういらないという。手が震えてグラスさえうまく持ち上げられないので、手を添えて夫が飲むのを見守る。レッドブリューはノンアルのビールである。氷を入れるとグラス半分ほどを美味しそうに飲んだ。

在宅緩和ケアのオフィスに電話してクリスマスにもPSWを入れてくれないかと頼んだ。レギュラーのマーガレットは休暇を取っていたのだ。

クリスマスの当日隣町からPSWのメグが来てくれた。夫の状態は今までにないくらいまで落ちていた。

クリスマスの朝なのにありがとう。
メグに言うと

大丈夫。子供たちにはプレゼントを開けて待っているようにって言ってあるの。

小さい子供がいるのにと私はますます申し訳なくなる。

クリスマスであろうとなかろうと、お手伝いの必要な人がいる限り私は来るわ。

メグの対応は気持ちよかった。
初めて会う彼女を改めて見ると、両耳にそれぞれ四つのピアス、おまけに舌にも銀色の丸いピアスが入っていた。手際よくスポンジバスを夫にして、そのあとベッドを整え、最後に二人で夫を動かし定位置に寝かせた。

来てくれてありがとう、とても助かったわ。

心よりメグに告げた。
メグは舌のピアスをちらりと見せて

You’re welcome

そう言ってドアを出て行った。

走り去る車の音が聞こえなくなると湖畔の家はしんと静まり返った。
夫の鼻腔に酸素を送る機械音だけが規則正しく響く。
夫の魂を失って、この雪空の、灰色の湖を前にして
私は途方もなくひとりになった。

看護師が来ても夫は眠ったままだった。

昼になると空は気持ちよく晴れ渡った。
太陽は湖面に積もる雪の上に藍色の影を作る。

白く雪が積もっているところまで湖水が凍っていることがわかる

午後になって夫はようやく目を覚ました。
そして言った。

ボクはまだ生きてたんだ

やおら自分の体を確認するかのように身を起こし何を思ったか車いすに乗り薪ストーブまで突進していく。

寒がる夫に床暖房を高温に設定しているから
PSWはいつも汗をかきながら作業をしていた。
ナースのシャノンなど
ここは熱帯地方だ!と言っているくらいに。

にもかかわらず夫は薪ストーブを焚こうとしている。
そしてキンドリングはもうないのだ。
小さい斧でも私は使うのが怖くてキンドリングを作ることができない。

薪をストーブに置くのに手を貸して
夫は仕方がないとばかりキンドリングの代わりの広告用紙をいつもより多めに丸め薪ストーブの中に入れた。

シュッと夫の指がマッチを擦る。

火は紙の上で勢い良く燃え上がった。
瞬く間に炎は広がり
それは夫の顔を
この上なく暖かいオレンジ色に変えるのである。

☆彡☆彡☆彡


これがふたりで過ごす最後のクリスマスだった。
ふたりで過ごす最初のクリスマス↓

さて次は
「おじいさんの思い出」・・・?


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ながつきかず
日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。