五線譜の梅
南のベランダから外を見ると
かわいい桃色があふれている。
紅梅が満開だ
母が亡くなり主がいなくなった奈良の家からやってきた梅の木、二本。東京に根を下ろして2年目の春である。
紅梅と白梅
植木屋のフジもんさんに頼んでわざわざ運んでもらったのだ。
移植直後の去年は頼りなげな紅梅だったが、今年は白梅に負けじと花をつけている。
青空を見上げてデジカメを構える
かがんで
寝転んで
飛び上がって
ありゃあ、どうしたって電線が入ってしまう!
なんせ大きな送電線の鉄塔が近くにあるものだから。
五線譜の上に梅の和音。
ピアノで弾くには指が足りないなあ・・
この梅の木たちを見ると
命というものを考えずにはおれない
紅梅は姉が成人した年に
白梅は私が成人した年に
当時住んでいた奈良市からもらった記念樹である。
その苗木を大事にしたのは父。
梅が咲いたよ
とっくに家を出て東京にいる私に伝えてくれた。
気に留めなかったのは母である。
父が亡くなって母を訪ねたある年、行き場のなくなった梅の実が土の上に無造作に散らばっていた。
私は拾って東京に持ち帰り梅シロップを作った。
気に留めないどころか全く知らないのは姉である。
へ~そんな木もらったっけ?
そんな梅の木たちが時を経て、土が変わってもなお、その可愛い花を咲かせてくれる。
そんなことが今はとてもうれしい。
父となら分かち合えただろうなあ、この気持ち。
あれは春も終わりころだったか
カナダにいて私は奈良の母とスカイプで話をしていた。
すると母の背後でウグイスの声がしたのである。
網戸にした窓のレースのカーテン越しにそれが聞こえてきた。
あらウグイスが来てるんじゃない?
私が言った。
そこの梅の木に
たしか窓の近くには白梅があったはずだと。
でも耳の遠くなった母には聞こえていなくて
今思えば父が呼びに来ていたのかもしれない。
その数か月後に母はピンピンコロリと亡くなった。
だからこの梅の花を見ると思うのである。
ああ、私は生きているのだなと
東京の喧騒にいて
明日の予定に心が奪われて
生きていることをすっかり忘れてしまっていた
日の出を見て地球が回っていることを
ギースが湖に飛来して一日の始まりを知って
お日様のおかげで野菜に命が与えられて
そして月の出を見て今日も一日生きていたことを
そんなことを湖を見ながら感じていたのに
手元のことしか見えなくなって
時間に追われて
ああ、早く湖畔に戻らなければ
私はまた道に迷いそうになるかもしれない