移民 1
ガレージの奥にひとつの古ぼけたチェストを見つけた。
どっしり重い。
夫ジェイの親の?あるいはその前の世代のもの?
中は空っぽ。
リビングに置くアンティークオブジェによさそうかしら?
綺麗に洗って乾かした。
見つけたのは夫ジェイが亡くなった頃。
もう3年も前のことである。
そしてそれがトラベル用チェストだと気づいたのは
noterのChappyさんが
かつてお仕事でエリス島の移民の文献と関わったことがあると言及されたことがきっかけだった。
色々考えさせられる内容の記事を丁寧な思考のもとに書いておられるChappyさん。
私が書いたこの記事↓のコメント欄でちょこっとエリス島って名前が出て来たのである。
エリス島?
そう、アメリカのあの自由の女神が立つ島である。
エリス島と移民。
そのChappyさんの言葉がなぜか私の心をとらえて離さなくなった。
はやる気持ちでYoutubeを検索すると
いくつものドキュメンタリーフィルムが出て来た。
元々はピューリタンの人たちがヨーロッパからやって来てそしてアメリカ建国へ至った。その後もアメリカンドリームを持ってやって来る移民たち。
それくらいの認識だった私。
その移民を受け入れるための移民局がこのエリス島に1890年代に開設されその後30年ほどの間に1千200万もの人がアメリカに入国しアメリカ国籍を取っている。
今は博物館となっているこのエリス島の移民局が移民の国アメリカのシンボルであることを知らなかった。
ある人の説で、現アメリカ国籍の40%の先祖たちはこのエリス島の移民局を通過したのではないかと言われている。
中でもこのエリス島に建てられた病院についてのフィルムは涙無くしてみることができなかった。
ヨーロッパからの大航海の後に人々を待ち受けていたのがこの病院である。
ファーストクラスのキャビン室でやって来た裕福な人々は、ほぼ自動的にアメリカ国籍が与えられ、あるいは移民でなく旅行者だったりで、すぐアメリカに入国できた。
しかし問題はすし詰め状態の劣悪な環境で何週間も船上で過ごして来た二等、三等の人々である。
近づく自由の女神を見て船の上から歓喜を上げるもつかの間
もともと貧しい国での生活だったうえに衛生状態の悪い船上。
ありとあらゆる病気が蔓延していて
人々はこの病院で医師により振り分けられて行くのである。
親子が離れ離れになったり、中には祖国へ戻ることを余儀なくされた人も。
1914年にここで働いていた看護師のインタビューが残されている。
病院には75か国からやって来た約1万人の患者がいました。
3500人が入国することなく病院で亡くなり
その一方で350の赤ちゃんが生まれたという。
赤ちゃんはすぐにアメリカ国籍を与えられ、取り上げたナースやドクターにちなんだ名前が付けられたと。
また別の女性の証言がある。
私には着るコートがありました。
ドレスもありました。
靴もありました。
でもそれだけでした。
ほかに持ち物は何もなかったのです。
その白黒フィルムの中である
このチェストを見つけたのは。
下船してエリス島の移民局に向かう長い人々の列の中に
これに似たものを抱える人がいたのだ。
そういえばあのチェストには名前のタグが付いていた。
トラベル用のチェストだったのだ。
アメリカで生まれ育った夫。
その養父母の親世代が持っていたトラベルチェストだとしたら、このエリス島を通過した可能性があるかもしれない?
あるいはそのまた上の世代?
そう思いつくとそれを調べたい気持ちが抑えられなくなった。
貧困から逃れるようにアメリカにやって来た人々。
そしてその多くが片道切符だ。
もう二度と祖国に戻ることはない。
故郷に残した親族や友人と会うことも
もうない。
いつでも日本に戻れる
そんな気持ちで今カナダにいる私にとって
その心情は
想像の範囲を超えるものである。
ドキュメンタリーには移民一世の人の言葉も残されている。
生まれながらにアメリカ国籍がある若い人たちには到底私たちの苦労が分からない。
またこんな証言も残されている。
病院の沢山の患者は、10人のうち9人は病気が治癒し無事入国でき、アメリカ国籍を取っています。
それが現在のアメリカに続いているわけである。
特別な技術があるわけでもお金持ちでもない、どこの誰かもわからない病気の人々を助け国籍を与えてきたアメリカという国の懐の深さを感じるのである。
私がL.A.に住んでいた1990年代、ロッタリー(クジ引き)でグリーンカード(アメリカ永住権)が当たるという宣伝をやたら耳にしたが、それは今も続いているのだろうか。
ちなみにこのエリス島を通過した6500万人の記録が今はデータベース化され検索できるようになっている。
移民:つづく
日本とカナダの子供たちのために使いたいと思います。