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不適切な保育について考えた

今回、静岡県裾野市で起こった不適切な保育や、
その後次々に報道される驚くような行為は、
批判されるべきものであることは間違いない。

しかし保育園を運営する立場にあるぼくは、
公の場でそれを批判するのはためらいがある。

なぜなら、
どの施設でも起こりうるから。

つまり、批判したあとに
「お前のところでも起こったじゃないか」
と言われるような事案が
起こらないとも限らない。

今回の裾野市の件などは、
憶測でしかないけれど、
「いじめ」が成立する要素に
似た部分があるのではないかと思う。

子どもの世界でも大人の世界でも
「いじめ」は後を絶たない。

こうした「いじめ」を見たとき、
「それはいけないよ」と言えるかどうか。

誰にも弱い心があって、
「それはいけない」と言った自分が

次のターゲットになるのでは?と不安になって、
見て見ぬふりをしたり、
いじめに加担する側になってしまう現実が、
この世の中にたくさんある。

そしていじめは恒常化し、エスカレートし、
いつしか抜け出せなくなっていく。

主張が強かったり、
声が大きかったりする相手ならなおさら、
逆らうのに勇気が要る。

全国でいじめがなくならないのは、
いじめる奴がもちろん悪いが、
その周囲が同化していくことも
要素として大きいように思う。

そうした同化は、
カルチャーにじわりじわりと
変化を生むからこそ、
それがいつしか当たり前になり、
罪の意識を感じなくなっていくのではないか。

だからこそ、世の中から「いじめ」が
なくならない(なくせない)のなら、
今回のような不適切保育をなくすのは
難しいとも言える。

それくらい深刻な問題だということ。

これは決して、
逮捕された保育者を
擁護しているわけではない。

というのも、
今回逮捕された3名がもともと
そんな行為をする人間だったのかというと、
ぼくは必ずしもそうではないように
思うからだ。

なぜなら、そんな人間ばかりが集まり、
同じクラスを担当するなんていう偶然は、
奇跡に近いから。

逆に、そんな人じゃなかったのに、
何らかの要因や環境で、
そういう関係性になってしまったと思う方が
まだ確率が高い。

つまり、NOやNGを
思うように表現できないカルチャーが
いつの間にか成立し、
抜け出せなくなっていたのではないか。

不適切な行為をした最初の一人は、
もともとふさわしくない人間で
あったのかもしれないし、

厳しい労働環境があったのかもしれないが、
それは分からない。

母親が
四六時中子どもとだけ向き合っていたら
かわいいわが子でも叩いてしまう
という事案のように、
保育者にだってゆとりが必要だ。

しかし、こうなる前に
ストップをかけるタイミングは
必ずあったように思う。

外部の目に
晒されることの少ない保育現場だからこそ、
自浄作用がはたらく仕組みづくりや
保育を外に開いていく
仕掛けが必要になるのだと思う。

今回のことを、
決して他人事にしてはいけない。

保育業界の問題だけでもないと思う。

いろんな業界で起きている
組織的な不正・粉飾・偽装の背景には
きっとこういうことがあって、
これを保育業界だけの問題として
「けしからん」とワイドショー的に
騒ぐのはなんか違う。

これはぼくたち大人に
根本的な課題に向き合う問いを
投げかけていると思う。

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