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行き過ぎたデータ至上主義は何を生むのか

#データ至上主義 というタグがあり面白く読ませていただいたのですがこちらはこちらでデータとは検証するための数値でしかないという考えですのでもちろん最初から理解し合おうというつもりはほとほとありません。

結論といえば結論なのですが音楽・検索ゴミ・SNS・ネット通販での異常な買い占めなどそれらを読み取ってもらうとわかるのですが最後は中華に行き着くのです。

なんのことはないデジタル工場ですね。

仮説でもなんでもなく生活が苦しくなったら人間何をするのかわからないんですよ。

それがしかもボタン一つ押したらいくらでも稼げてしまうものなら?誰かがしていることをこともなげなく大声で騒ぎ拡散したら広まった後に「あれ嘘だぴょーん」となっても今の時代Twitterでの発言でさえ法的な責任が出てきてます。

法務とSNSとなるとこちらの記事に目を通すといいかと思います

結論は出ないことですしその過程でのそれぞれの考えをどう取りまとめ落としどころを見つけるのか?

というのがこれからのデータ後の社会に求められる生き方でもありそれぞれまじ合わないものを無理やりまぜ合わせるとろくなことがない

というところでもありますがこれも行き過ぎると分断された社会となります。

食とデータとなりますと工場出荷後の製品が大量に回収されるということが立て続けに起こっています。

ひとつ起こると立て続けにおこるのか年末調整のように記事になるのかよくわかりませんが日々製品回収というのは起きてます。

すごいですね。

紅しょうがの量が違うといったところで特にクレームも来ることはなくTwitterの話題に上がる程度でしょうが、これもまた今の社会なのだと思います。現場でボタンを押し間違えたとかそんなところだとは思いますがマヨネーズ多めにかけたらわからんだろ

たこ焼きひとつにそこまで電話をかけるパッションをほかの事に使おう!と感じながらもこれがデータ至上主義なんだろなと脱力感がいっぱいです。


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