知識がもたらす自由と無知がもたらす傲慢
ソルフェージュ検定の勉強を子供たちと始めました。
はじめはピアノの演奏だけじゃなくて伝える事や教える事も増えるし、しかも理解の度合いもみんなそれぞれ違うので
(始めた事は良かったけど、レッスン時間も押しちゃって、結構大変だなぁ)
と思っていました。
ですが、模擬試験を何回か重ねるうちに生徒さんも楽語を順番に覚えてきて
『Allegroと書いてあるから速くだね!』
と、自分で気付ける様になって来たり
『p(ピアノ)の表示があるのにアクセントがついてる時はどう弾くの?』
『16分音符と8分音符は何がどう違うの?』
ソルフェージュ検定を勉強し始めた子達は楽譜をじっと見るようになり、楽譜に興味を持ち始めまています。
先日、ある男の子から
『先生!この曲はAregllo Moderatoと書いてあるね。
Allegroもわかるし、Moderatoもわかるけど、Allegro Moderatoってひっつくと
【速く中位の速さ】って変!一体どういう意味?』
と聞かれました。(面白くなって来ました!)
そしてその後
『Allegro Moderatoがあるって事は、Andante Moderatoもあるの?』
とも尋ねてくれました。(素晴らしい!)
楽語を知るまでは楽譜に書いてある様々なイタリア語はきっと【模様の様】に見えていたか、もしくはそもそも【目に入っていなかった】んじゃないかと思います。
知っている言葉が増えると、楽譜にある知らない他の言葉が気になるようになり(dolceやcantabileなど)自ら質問したり、言葉の意味や似通っている言葉(rit.とrall.の違いなど)が、なぜ言葉を変えて楽譜には度々現れるのかなど、それらの必要性を(そこには生徒さんとのディスカッションが勿論必要ですが)自ら考え、自立的な譜読みができるようになります。
理解が増えることにより、知識は人を自由に、そして、人生を豊かなものにします。
一方無知は傲慢です。
厄介なのは無知という事実は、知性ではなく感情が先に働き、知らない事で自分が傷つくのを防ぐ為、相手に対し自己防衛的な言葉や行いをしてしまう事です。そして知らずうちに自分を正当化し(これで良いのだ)と脳が思い込んでしまう危険性があるのです。
これは人間としても、また知識的な成長においても停止し、選択肢を少なくする行為でとても危険です。
相手が誰であろうが、いくつであろうが関係なく、素直に物事を受け取っていける人間になりたいと思います。
余談ですが、、、。
私もソルフェージュ検定を受けようと勉強していて
(これくらいは知っている)
つもりで調判定をしていたら
【ト長調】のところを【ソ長調】と書いていました笑
やっぱり謙虚な姿勢で勉強せねばならないと丸つけをしながらしみじみ感じたのでした(。-_-。)