ジェーン・エアと自分軸
私のヒーロー/ヒロイン、理想像を考えるとき、必ず出てくるイメージがある。それは、シャーロット・ブロンテの名作「ジェーン・エア」の主人公、ジェーン・エアだ。彼女は実在の人物ではないけれど、私は彼女とその生き方を尊敬している。
このイギリス文学が170年以上経っても、色褪せず、世の中の多くの人々、特に女性たちを虜にするのは、文学として、もちろん多くの優れた点があるのだと思う。ただ、私として「長年にわたり、どうしてジェーン・エアが私のヒーローなのか?」なんて考えたことはなかった。
ところが、ある日「自分軸」と「自分勝手」の違いをコーチィの方々にどうやって説明しようかと考えていたとき、ぽこっと「ジェーン・エア」が浮かんだ。と同時に、そうか、彼女を尊敬して止まないのは、彼女がまさに、私にとっての「自分軸の象徴」だったからだ!ということがわかった。
「ジェーン・エア」は、英国ビクトリア時代の社会と常識の中で、ジェーンが自分独自の行動規範と責任感をもって、どう考え、どう行動するか、彼女の生き方そのものが物語。だから、ジェーンの「自分軸」が満ち溢れている。
(以下、スポイラーアラート!)
ジェーンは若くして両親を亡くし、叔父の一家に育てられる。そこで義理の叔母や従兄姉たちから様々なイジメに合う。でも、ジェーンは自分の正義と自分に必要なことを、1ミリも曲げない。そんな彼女を叔母は「わがままな子」として扱い、従兄姉たちからは仲間はずれに合う。
ジェーンが干された先は、寄宿舎制の厳しい学校。そこでも、自分を1ミリも曲げないがために、様々な出来事があるが、長いのでそこは飛ばします。
成長したジェーンは、自分の意志でソーンフィールドというお屋敷の家庭教師に応募する。そこの主人ロチェスター氏と恋に落ちる。周りの召使いたちは、家庭教師と年上の貴族という分不相応で、もてあそばれているとしか見えない恋に対し反対する。みんなの不賛成を理解しつつも、自分が見極めたロチェスター氏の人物像を信じ、他の意見におじけづかないで、自分の心の声に従う。
結婚式の当日、ロチェスター氏にはまだ離婚していない妻がいることを知る。ロチェスター氏が嘘をついてでもジェーンと結婚したかった理由を知って、まだロチェスター氏を愛していても、ジェーンは自分の良心の分別に従い、お屋敷を去る。
長いストーリーの中で、幾度となく、世間や人々は英国ビクトリア時代の常識を、ジェーンに押し付けてくる。例えば、子供時代、大人たちは子供のジェーンを無力な者としてぞんざいに扱うが、ジェーンは抵抗する。ロチェスター氏は貴族の雇い主で、基本的わがままだけど、ジェーンは特に媚びるわけでもなく、家庭教師として、それ以上、それ以下の卑下も驕りもない。
その常識の波や嵐の中を、ジェーンは「自分軸」を持って、果敢に突き進む。どんな圧力を感じても、自分の価値観と心の声を優先し、強く突き進む。しかし、それは自分の快楽や幸せを優先する「自分勝手」とは大きく違う。両思いでありながらも、ロチェスター氏の妻が生きている限り結婚しない決断をしたのは、常識に従ったからではなく、ジェーンが自分の快楽や幸せでなく、人間の良心・モラルに従って、善を取る決断をしたからだ。もしジェーンが「自分勝手」な人だったら、ロチェスター氏の言うことに従って一緒に居る快楽に従うのだと思う。
ロチェスター氏の婚姻関係を知り、ジェーンはソーンフィールドを何も持たずに去る。ムーアを乞食のように彷徨っていた時に、牧師一家に救われる。のちに、その一家はジェーンの遠い従兄弟だと知るが、長男の牧師サンジョンは自分の宣教活動に妻として付き添って欲しいとジェーンに迫る。ジェーンは、生涯ひとりぼっちだと思っていたところに家族が出来て大喜びだがサンジョンを夫としては愛していない。サンジョンは、自分に付き添うことは神が喜ばれる(善)という。
この状況は、たぶんビクトリア時代的な常識でみると、素直に結婚し、牧師の夫に従い、神が喜ばれる奉仕をする、のが美しい形なのだろう。だから、「自分軸」をしっかりもって、それには従えないというジェーンをサンジョンは「わがまま」だとなじる。真実は、ジェーンと結婚したいというサンジョン自身の「自分勝手」を遂行しているだけなのに。
従兄弟ができて嬉しいし、彼らを大切にしたいジェーンの中で、「自分軸」と「他人軸」が絶妙に入り乱れる。従兄弟が願っていることを叶えてあげたいと思う心を利用して、サンジョンはジェーンを説き伏せそうになる(ジェーンは「他人軸」を受け入れそうになる)。
その時、突然、ムーアの彼方から「ジェーン、ジェーン」とジェーンを呼ぶ声がジェーンだけに、力強く聞こえてくる。このシーンは、「ジェーン・エア」の中で最も感動的なシーン。なぜなら、後にロチェスターに会った時、彼が彼女に話をする。ちょど同じ頃、遠く離れた場所で、彼は突然ジェーンの名前を叫びたくなって、実際に声を出して虚空に何度も叫んでいたのだ。
私はこれまでこのシーンは、ソウル・メイト(ツイン・フレーム)の二人が深く繋がっているからお互いのテレパシーで声が聞こえてくる、ロマンティックなシーンと思っていた。しかし、「自分軸」の視点でこの物語を考えたとき、ロチェスター氏の遠く彼方からの呼び声は、実はジェーン自身の「自分軸」の反射で、それを取り戻す声だったのかと思った。
自分の心の声に従って愛した人の中に、「自分軸」がこだまし、戻ってきた瞬間だったのだ。その証拠に、この声が聞こえた後、ジェーンは、はっと我にかえり、ぐらついた「自分軸」を一瞬で元に戻すことができたのだ。
An image of moor by Daniel McNestry from Unsplash
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