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通訳者と執事の微妙な関係(1)

 ノーベル賞作家カズオ・イシグロを世界的に有名にした小説といえば、『日の名残り』(1989年、日本語訳は1990年)。ブッカー賞受賞、アンソニー・ホプキンス主演の映画(1993年)もヒットしたから、覚えている方も多いのではないでしょうか?

 イシグロの作品というと、強く心を動かされた『わたしを離さないで』(2005年、日本語訳は2006年)の印象が強く、『日の名残り』の方は未読で、映画も観ていませんでした。

 この作品を、あるきっかけがあって、遅ればせながらこの夏読みました。土屋政雄の翻訳が素晴らしく、主人公である執事スティーブンスの生真面目な性格や上品な言葉遣いが、驚くほど精緻に日本語に移し替えられています。

 でも、ここで伝えたいのは、別のこと。通訳者と執事は、ある意味とても似ているのではないか、ということです。

 ここから先はネタバレ注意です。

 スティーブンスは、英国の名家の執事として、第二次大戦を挟んで35年勤めていました。主人であるダーリントン卿は、第一次大戦後、敗戦国ドイツに課せられた制裁を不当と考え、ナチスドイツに肩入れします。欧米各国の政治家や外交官を自宅に招き、非公式の国際会議を開催して、米英仏に対独制裁を解くよう呼びかけます。

 その後ナチスドイツが台頭、英仏は、第二次大戦中の対独戦で大きな犠牲を払うことになります。ダーリントン卿は国賊として裁判に訴えられ、敗訴。孤独な最期を迎えます。

 ダーリントン家の興亡の歴史とともに、この作品の核となっているのが、作品を通じてスティーブンスが語る、「偉大な執事とは何か」という「執事の品格論」です。

 スティーブンスは、ダーリントン卿を崇拝し、ダーリントン家で働いていることを誇りに思っています。1923年のダーリントン家での非公式な国際会議を、自分が偉大な執事としての品格の萌芽を見せた出来事だったと考え、「偉大な紳士に仕え、そのことによって人類に奉仕する執事こそ真に偉大な執事だ」と言い切ります。「ダーリントン卿は功徳の紳士でした。道徳的巨人でした。私はダーリントン卿にお仕えしたことで、この世界という車輪の中心に、夢想もしなかったほど近づくことができたのです」

 第二次大戦前夜、ダーリントン卿がナチスドイツを支援したり、反ユダヤ主義に影響されて、雇っていたユダヤ人の女中らを解雇した時も、スティーブンスは、面と向かって卿を批判したり反対することはありませんでした。

 スティーブンスにとっては、偉大なダーリントン卿に尽くし、影のように追随することが、偉大な執事であることと同義であり、自らの存在意義でした。だから、卿がどのような人物であれ、その行為を正当化し、受け入れていたのです。

 第二次大戦後、ダーリントン卿が告発された後も、「ドイツを支援したことは誤りだったが、卿はそのことを反省されていた」と、スティーブンスは卿を擁護し続けます。

 しかし、スティーブンスは、徐々に、卿のために全てを捧げた自分の人生はなんだったのか、と疑問を抱くようになります。

 晩年、休暇をとって自動車で旅をするうち、それまで信じていた価値観が大きく揺らぎ、スティーブンスは通りすがりの老人に心情を吐露して落涙します。

 「ダーリントン卿は悪い方ではありませんでした。(中略)それに、お亡くなりになる間際には、ご自分が過ちをおかしたと、少なくともそう言うことがおできになりました。卿は勇気のある方でした。人生で一つの道を選ばれました。それは過てる道でありましたが、しかし、卿はそれをご自分の意思でお選びになったのです。少なくとも、選ぶことをなさいました。しかし、私は......私はそれだけのこともしておりません。私は選ばずに、信じたのです。私は卿の賢明な判断を信じました。卿にお仕えした何十年という間、私は自分が価値あることをしていると信じていただけなのです。自分の意思で過ちをおかしたとさえ言えません。そんな私のどこに品格などがございましょうか?」

 このくだりを読んだ私は、職業人としてのスティーブンスと、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻開始以降の自分を重ね合わせて、いたたまれない気持ちになりました。

(2)に続く


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