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ポメラ日記92日目 文庫本を冬の装いにした話

文庫本を冬の装いにした話

 僕は文庫本が好きだ。第一に、場所を取らないこと──鞄はもちろん、その気になればジャケットのポケットにも収まってしまう。僕は街中を移動することが多いから、電車の待合でさっと取り出して読めるのがいい。ときどき定刻通りに来る列車がうらめしくなって、電車をちょうど一本逃してしまったときなんかはこれ幸いと、文庫本のスピンを持ち上げる。次の列車が来るまでにはあと五分ほどあって、そういうときの読書の心もちが何とも言えずよい。ただ文章を読むための、鉄道ダイヤの狭間から生まれた時間。

 第二は、手に持ったときの大きさ。その気になれば片手でめくることもできるし、喫茶店のテーブルで両手に開いてじっくり読むこともできる。単行本では幅を取るし、片手で読むにはどうにも収まりがわるい。文庫なら車内のつり輪を持ちながらでも頁が繰れる。サンドイッチ伯爵がトランプで賭け事に興じるために片手で食べられる食べ物を発明したというのは俗説だけれど、「片方の手で何かをしながら、もう片方の手で別のことをしたい」というのは人間の根源的な欲求としてあるのではないか。喫茶店なら右手にコーヒー、豆菓子、ドーナッツ。ファストフードで食べるなら、ホットドッグが僕は好きだが、あれは片手では食べられない。なのでスーパーで買うときは串付きのやつを見つけるとなぜだか嬉しくなってカゴのなかに放り込む。串が付くとなぜウインナーロールに名前が変わるのだろう。

 第三の理由を挙げるなら、文庫本にはカバーが掛けやすい。単行本にも掛けられるが、大きさのせいでジャストフィットが難しい。本とカバーの隙間にたわみができる。文庫ではそれが抑えられる。関西の人間は、形が整っているものを見つけると「しゅっとしてはる」とうらやましさ半分に茶化すことがあるけれど、隙間がなくきっちり掛けられた文庫本カバーを見ると「しゅっとしてんな」と言いたくなる。

 ちなみに書店員さんのカバー掛けにも技量があって、うまい店員さんは、頁を開いたときにもズレが少ない。あれは元々、レジ裏で隙を見つけて事前にサイズごとに途中まで折ってあるので、うまく合わないときは、最初にカバーを折った人がちょっとへたっぴで、たまたまレジに入った書店員さんがそのカバーでお客さんに渡さなくてはならないときがある。新人さんがそんな折り方をしていると、先輩からあとでバックヤードで怒られる(僕はへたっぴで怒られたことがある)ので、本好きの方はなるべく優しい目で見て欲しい。

 秋口になったので、ちょっと遠出をして、郊外の書店に立ち寄った。たまたま通りがかった文具コーナーで、ビブリオフィリックのブックカバーが割引になっていた。ビブリオフィリック(BIBLIOPHILIC)は、読書好きのあいだではかなり有名で、読書用品を専門に扱うブランド。大手書店の文具コーナーでよく取り扱いがある。そういえば、引っ越してからブックカバーを一枚も持ってきていない(書店のカバーで済ませていた)ことに気が付いて、割引セールの棚からめぼしいものを探した。

 ビブリオフィリックのブックカバーは、素材の種類が多くて、レザーやウール、キャンバス地など、好みに合わせたものが選べる。その店には、「リバティプリント」という柄が華やかなものもあったが、僕はシンプルなものが好きなので、もう少し違う柄を探した。

 すると、一冊だけ何かの手違いなのか、タータンチェックのウールカバーが残っていて、それに手を伸ばした。割引のシールは半額だったので相当安く買えたのは確かだ。

 実際に文庫本に着けてみると、手触りがよく、秋冬の読書にはぴったりの温かみがあった。季節に合わせて文庫本カバーを変えたことはいままでなかったので、こういうのもアリだと思う。衣替えの時期に合わせて、本も着せ替えてあげるとよい。

喫茶店で「喫茶店文学傑作選」を読む

 毎月、病院に行く日があるのだけど、診察が終わってから、近くの書店までぶらぶらすることがある。とくに読みたい本も決めずに棚を見ていると「喫茶店文学傑作選」というアンソロジーの短編集が目に留まった。

 僕はアンソロジーがあまり好きではなくて(色々な作家の試し読みという気がするから。十つの作品が載っていたら、気に入るのはひとつかふたつ。そういうものだろうけど)普段は手に取らないのだけど、「喫茶店」をテーマにしたアンソロジーということで、何となく気になってしまった。

 ちょうど引っ越し先で喫茶店巡りを続けていたところで、そういうところで読むのもいいだろうなと思って、レジに持って行った。

 前半までの作品を読んだなかで、植草甚一という人が書いた「東京に喫茶店が二百軒しかなかったころ」という文章が印象に残った。

 いまでは東京には何千軒もの喫茶店がひしめきあっていると思うけれど、このタイトルはどうもインパクトに残る。

 なぜ「喫茶店が東京に二百軒しかない」と言い切れるのかというと、この人はカフェで配っているマッチ箱をすべて集めていたからだというのだ。

 エッセイにも色々あるけれど、その日そのときの実体験や感情を綴った、というだけでなく、実際に出向いて足で稼いで確かめた、という文章には敵わないなと思うことがある。それも一日、二日では回りきれない、尋常ではない量だ。

 この人はどうも東京の神保町に喫茶店がはじめてできたときの頃をよく知っていて、(神保町の)喫茶店の発祥は、神保町すずらん通り裏にあった「新天地」、とわりとはっきり書いている。

 短編のなかで、この店はこんな風だったと当時の思い出から語ってくれているようなのだが、コーヒーの味がどうだったか、とかそんなことはまったく書かれていない。

 というのも、

 ここまで来てコーヒーの味について何も言ってないことに気が付いた。じつはコーヒーなんかどうでもよく、その店を仲間たちの巣にして何時間もねばり、くだらないことを話し合い、あいつを捜しているのかい、それならあの店に行けばいるだろうといった連絡所になったりするのが、ほんとうの喫茶店だったのである。

 「喫茶店文学傑作選」林哲夫編 (植草甚一『東京に喫茶店が二百軒しかなかったころ』)
中公文庫(2023)p.83-p.84

 昔の喫茶店はコーヒーを味わうところ、というよりも、学生や連れ合いとのたまり場という意味合いが強かったようだ。いまでももちろん、そういうところはあるけれど、昔ほど誰かと会うために使われることはないように思う。

 携帯電話もスマートフォンもなかった時代で、街中で人と落ち合うための方法が喫茶店に通うことであったのかもしれない。僕もガラケーの頃には生まれているけれど、それより前にどうやって友達と会っていたかというと、確かその人の家にわざわざ電話を掛けていた。それさえもなかった時代には、喫茶店はべつの意味を持っていたのだと思う。

 植草甚一という人について少し調べてみると、生まれが1908年(明治41年)8月8日で、没年が1979年(昭和54年)12月2日になる。

 この人が学生時代を過ごしたのは、生年に二十年と少しを足せばいいわけだから、1930年代には神保町を歩いていたはずだ。おそらく昭和初期の頃になる。喫茶店に行くとマッチ箱にレッテル(パッケージ)が貼られていた時代。

 神保町の描写はもちろんあるが、店の名前がほとんど分からない。分からないけれど、面白い。

 小説に固有名詞を出すのはどうなんだ、という話があるけれど(星新一が年月を経て読まれることを意識して固有名詞を使わなかったのは有名な話)、その時代にしかない空気感を残すために固有名詞を意図的に出していくのはありなのでは、と思ったりした。

 僕の立場としては小説の舞台やその時代の雰囲気を表すために必要な、象徴的なものだけを固有名詞として使いたいと思っている。

 エッセイや雑文ならOKか? というと、実はSNSがあったりして特定のお店に関するコメントを残すのは、意外と難しいんじゃないかと。それこそ誰もが知っている、この土地といえばこの店、というところじゃないと書きにくい。 

 植草甚一の喫茶店の評を読んでいるとわりと自由奔放に、言いたいことを言いたいようにきっぱり書く(つまりよいと思ったものをよいといい、わるいと思ったものはわるいと言う)というスタンスなので、昔の方がその辺りが許されていたんじゃないか。
 
 話を戻すと、神保町の描写のなかで唯一分かったのが「小宮山書店」と書かれてある一文で、あの角にある美術書のお店ね、と分かって少しだけ頬がゆるむ。隣が伯剌西爾でラドリオがある通りで、向かいに書泉グランデがあって……。おのぼりさんの僕がそぞろ歩きで歩いていたあの道は、植草甚一が闊歩していた道だと思うと、またあの角を曲がりたくなった。

 何者かになるとは、その人の名前が固有名詞になることだと思う。

 2024/11/19 19:33

 kazuma

 

 

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