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ポメラ日記84日目 書きたいことが見つからないときは

 新しい場所に引っ越してから1ヶ月になる。ちょうど、このあいだ「書くことが見つからない」という状態になった。

 スランプとかそういうことではないのだけれど、身の回りが「引っ越し一色」になってしまっていたので、文学周りの話題を見つけられずにいた。

 だいたい3ヶ月に1、2回くらいは「ネタ切れ」のときがあって、せっかくなので、今回は「書きたいことが見つからないときは(どうするか)?」について考えてみたい。

「書きたいことが見つからない」ときの原因

「書けない」ときは「書けない理由」を探してみる

 これまでの経験を振り返ってみて、書くことが見つからないときは、それなりの理由があったように思う。

 思いつく原因を箇条書きにしてみると、

 ・単純に疲れている(休息が必要)
 ・同じルーティンを繰り返している
 ・ひとと話す機会が少ない
 ・アイデア出しをしていない
 ・ぼーっとする時間がない

 だいたい、この辺りの原因が絡んでいると思う。なので、この1つ1つの個別ケースについて今回は考えてみる。

①単純に疲れている(休息が必要)&ぼーっとする時間がない

とりあえず、考えるのをやめて、のんびりしてみよう。

 文章やアイデアがなかなか浮かんでこない状態は、疲労の問題というのがひとつある。

 仕事が終わってからの時間も、SNSで情報を発信したり、YouTubeを観たり、ブログやnoteを読んだり、なにかと「頭のなかがつねに忙しい(ビジー状態)」になりやすい。

 たぶん、この「ポメラ日記」を読んでくれている人のなかにも、仕事や家事が空いたわずかなスキマ時間に記事を書いたり、読みに行ったりする方がいると思う。

 でも、これから自分で何か文章を書いてみよう、というときには、すでに疲れ切ってしまっていて、そもそも書こうにも「何も浮かんでこない」方もいるかもしれない。

 そういうときには明らかに「休息」が必要で、一旦、情報を遮断して「何もしない」時間を作ってしまうことをおすすめする。

 次から次へと絶え間なく情報を入れたり、行動したりしているのが現代では「普通」になってしまっているけれど、それは、人がアイデアを思いつくためにはぜんぜん「普通」の状態ではない。

 何か文章を書くには「余白」のスペースが必要だし、「余白」がないところに文字を書くことができないように、暮らしにも「何もない空白の時間」が必要だと思う。

 「空白の時間」は家にいると、意外と作りにくい。

煮詰まったら、ラフに外出

 おすすめは、ちょっと外を出歩くこと。鞄のなかに「ポメラや本、筆記具」だけを入れてどこかへ行ってしまうことだ。

 僕は最近、土曜日の朝に喫茶店に行くようにしていて、なぜかというと、土曜の早朝はお店も空いていて、考え事や書きものをするのにちょうどよかったりする。

 はじめから「記事を1本作ろう、仕上げよう」とはあまり思っていなくて、まずは草案やアイデアを書き留めておいたりする。

 記事のネタは、喫茶店に歩いて行くまでに「何を書いたらいいのか」をぼんやりと考える。

 街中を歩いているときは、なるべくスマートフォンに触れないで(鞄かポケットに突っ込んでおいて)、ただ歩く。

 アイデアを思いつくときのパターンは、「何かひとつのことをやっているけれど、他のことは何もできない」ときに訪れやすい。

 昔から「馬上、厠上、枕上」というたとえ話がある。

 他にやることもなく「ぼんやりと」しているときの方が、アイデアは思い浮かびやすいのかもしれない。

喫茶店に着いたら、どの席に座る?

 以前にアイデアを思いつきたいときは「コーヒーよりも紅茶をオーダー」した方がよいのでは? みたいな話をしたけれど、「店内でどの座席に座るか?」も実は執筆の進み具合に関係していそうな気がする。

 僕はよくタリーズに立ち寄る。涼しい季節は「テラス席」にポメラを持っていって文章を書いたりする。

 すると、どういうわけか店内で文章を書いているときよりも、外で文章を書いているときの方が、何となく書きやすい。 

 「テラス席」の方が、開放的な気分になりやすく、外の空気に触れながらものが書けるので、結果的にアイデアが思いつきやすく、記事が捗る、という仮説を立てている。

 もちろん人によって喫茶店や座席との相性はあると思うので、「このお店の、この座席が書きやすい」という執筆スポットを見つけたら、なぜなのか、考えてみるといいと思う。

 たぶんそのお店の座席には、自分にとって作業に集中しやすい条件が揃っているはずだから。

②同じ行動パターンを繰り返している

いつもとちょっとだけ違うことを。

 「アイデアを思いつかない」ときの、もう一つの原因としては「同じ行動パターン」を繰り返している場合がある。

 僕が小さい頃、父親から聞いた習慣があって、それは「行き帰りでいつもと違う道を歩くようにしている」というものだった。

 幼い頃は「行き先と終着点が同じ」なら最短ルートで行った方がいいんじゃないか? と考えていたのだけれど、父親が何気なしに言ったその言葉が残っていて、僕もあまり同じ道を歩かないクセが付いた。

 現代なら、目的地への最短ルートはいつもGoogleMapが決めてしまう(実際に歩いてみると坂があったり、障害物があったりしてその通りにはならない)。

 通勤ルートも既に決まっていて、同じ道を毎日往復するだけ、という人も珍しくないと思う。

 でも、そういうときにちょっと「普段は歩かない道を歩いてみる」と、日常の行動パターンから外れるので、同じ行き帰りでも小さな「非日常」を味わうことができる。

 僕はこういう「寄り道」が好きで、たとえば「普段は曲がらない角」を曲がってみたり、あえて「路地に入って」遠回りしてみたりする。

 すると、ほぼ100パーセントの確率で、全然知らない住宅街に迷い込んだり、まったく知らない(たぶん地元住民しか知らない、Googlemapにも載ってない)お店を見つけたり、ヘタをすると「寄り道した方が早い」ルートを見つけたりする。

 この日常で繰り返している同じ行動パターンから、あえて意識的に「外れる」ことが、アイデアを思いついたりするときに、けっこう重要な気がしている。

いつもと違う道を歩いて「同じパターン」から抜け出そう

 もちろん「同じパターンを繰り返す」ことも、日々の仕事をこなしたり、習慣を作る上では大事だと思うのだけど、それはもう十分に子どもの頃から社会人になるまで、学校や職場でみっちり叩き込まれているはずだ。

 また喫茶店の話に戻るけれど、たとえば注文するメニューが「カフェラテ」と決めて、ずっと同じメニューを頼んでいれば、同じものが出てくる。

 でも、そこであえて違うメニューをオーダーしてみると、「普段のパターン」から外れることになる。

喫茶店でまだ頼んだことのないメニューを頼んでみる。

 当然、どんなものが出てくるかは分からないし、実際に飲んでみないとその味は分からない。

 普段と注文するものを変えれば、失敗することがあるかもしれない。

 思ったよりも美味しくなかったり、クリームが口に付いて飲みにくかったり(僕は最近になってようやくコーヒーにホイップクリームをトッピングすることを覚えた)、カフェ代が高くついてしまったり。

 でもそれは、新しい刺激になる。同じパターンの繰り返しからは学べないことがある。そのときに恥を掻いたり、損をしても、「やってみた」ことはあとで何十倍ものリターンになる。

 たぶんこれは喫茶店とかに限らず、他のものごとにも言えると思う。

 記事を書くネタやアイデアは、同じひとつのジャンルから生まれてくるというよりも、異なるジャンルを横断(越境)したときに生まれてくるものだと思う。

 僕は同業者や趣味の集まり(たとえばライターや小説を書いたり、読んだりする人)で話すよりも、ぜんぜん別の畑にいる人からヒントを貰うことが多い。

 この辺りのことは、次の「ひとと話す機会が少ない」場合にも絡んでくる。

③ひとと話す機会が少ない

在宅になり、人と話す機会が貴重だったことに気が付く。

 在宅の仕事をしていると、休憩時間に誰かと話をする機会がほとんどないので、ついパソコンの画面の前に居座りがちだ。

 僕は以前はAmazonの倉庫のようなところで働いていて、作業の休憩時間には、ざっくばらんな話を作業者同士ですることが多かった。職場の風土とも合っていたように思う。

 文学ブログ「もの書き暮らし」で書いているネタも、いくつかは友人に教えて貰ったことがきっかけになったりしていた。

 もちろん文学ジャンルの話は好きだから、自分の足でネタを見つけてくることもあるけれど、3~4割は人から教えて貰ったことの方が多かった。

 一見、本や文学とは関係なさそうに見える「畑ちがい」の話題から、書くネタが見つかることがある。そういうものは自分の好き嫌いだけで探していると見つからない。

 なるべく人と話す機会があるときは、書くことを見つけるチャンスだと思って、人の話を聞くようにするとよいかもしれない。

ときには友人の「好きなもの」の話に乗ってみよう。

 たとえば、僕の友人は「ガチャガチャ」が好きで、あのレバーを回して小さな玩具が取り出し口にころんと出てくるのを楽しみにしていた。

 僕は、それまで「ガチャガチャ」は子どもがやるものだと決めつけて、街中で見掛けても見向きもしなかったのだけれど、友人がどうしても行きたいというので「ガチャガチャの森」へ付いていった。

文学好きなら、みんな大好き「文豪ポーチ」

 すると、「文豪ポーチ」という面白い商品があって、これにハマって何回か「ガチャガチャの森」へ通ったことがある(ちょっとミーハーなので流されやすい)。

 「文豪ポーチ」には夏目漱石の「門」があって、内側には「門」の一部が抜粋されていて、これが夏目漱石を読み直すきっかけになり、「門」を読み解く記事を書くことになった。

 意外といまでも読まれる読解記事に仕上がったので、書きもののチャンスはどこに転がっているか分からない。

 書くことは案外、日常生活のすぐそばにある。 

④アイデア出しをしていない

一度に書こうとしないで、まずはアイデア出しから。

 「書くことが見つからない」ときのもうひとつの対策としては、とりあえず形にならなくても書いてみる、という方法がある。

 一回で3000~4000字の記事を1本書くのではなく、今日は「アイデアとなるものを箇条書きにする」「記事の構成を考えて、順番を入れ替える」「おおまかなイメージがきまったら1文目を書き出してみる」と区切ってみるのがいい。

 僕は趣味の小説から書きものを出発したので、ある程度、こういった段取りには慣れている。

 少なくとも実用文をスムーズに書けないときはどこかのフェーズで目詰まりを起こしているはずだ。

 たとえば、一番書きやすい雑記ブログ(文学系、僕の場合は「ポメラ日記」)のネタを書くときは、

 ・日常生活を振り返って、何か印象に残ったもの(イベント)を探す
 ・最近、読んだ本で深く掘り下げてみたい1冊を決める(なければ書店へGO!)
 ・読者と共有できる執筆ハック(できれば有益な情報)を研究してみる
 ・創作にまつわる自身の執筆活動を紹介する(noteなどでの作品公開、文学賞への応募)
 ・本業(僕の場合は、在宅ライター)に関係するお役立ち情報を発信
 ・ジャンルの異なる趣味の分野(たとえば音楽やゲームなど)と文学ネタを絡めて書く

 など、ざっと思いつくだけでも、かなりテーマを自由に選択できる。あとは自分の好きな順番やいまの興味関心の度合いに合わせて、ローテーションを組みながら記事を回していけばいい。(そのなかに偶然トレンドが含まれていたら、ネタが旬のうちに上げてみる)

 たとえば、僕の先月を振り返って箇条書きにすると、

 ・引っ越し&一人暮らしをはじめた
 ・ポメラで執筆できるスポットを、引っ越し先で開拓中
 ・「書くことが見つからない」原因を考えてみる

 これらの行動やアイデアが、

引っ越し→「自宅以外で集中できるスポットは?」→「ポメラで執筆できるスポットを探してみよう」→「喫茶店を巡ってみる」

引っ越し→「外出先でもの書きをすることが増える」→「SNSで鞄の中身企画を持ち上げている方がいる」→「せっかくなので2年振りに鞄の中身を公開してみる」

 引っ越し→「引っ越しに注力しすぎて新しいことができていない」→「記事が書けない原因を探ってみよう」→「なぜ書けなくなっているのかを記事で突き詰めてみる」

 という手順で、「ポメラ日記」や文学ブログ「もの書き暮らし」の記事が生まれました。

 書きものが進まない方は、少しずつ試して貰えれば嬉しいです。

 長くなったので、今日はこれで。

 2024/10/07
 
 kazuma

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もの書きのkazumaです。書いた文章を読んでくださり、ありがとうございます。記事を読んで「よかった」「役に立った」「応援したい」と感じたら、珈琲一杯分でいいので、サポートいただけると嬉しいです。執筆を続けるモチベーションになります。いつか作品や記事の形でお返しいたします。