ポメラ日記71日目 もの書きのお引っ越し
今日、引っ越し先の部屋を見てきた。来月には新しい街にいる。一度も降りたことのない駅で。
これからこの街で暮らすのだと思うとヘンな感じがする。昨日までの僕はここにいなかったのに。
僕が暮らすのは、グループホームのアパートで、職場の人の紹介で入ることになった。なので、僕は自分で部屋を選んでいない。気が付いたら知らない街角に立っていた。
駅前で担当のひとと待ち合わせて、少し早く着きすぎたので、本を読んで待っていた。三十分くらい。
いま読んでいるのは井戸川射子さんの「ここはとても速い川」という本で、関西弁で喋る子どもが主人公なのだけれど、ほんとうに街中にこういう子がいるような気がしてきて、いい小説ってたぶんそこに「いる」感じがあるんだろうなと思う。
僕の小説の登場人物にその感じはない、だから僕が書いているものはにせものなのだと思う。
小川洋子さんがどこかの講演で、読めば「ほんもの」か「にせもの」かは残酷なほどすぐに分かる、と話されていたことを思い出す。
本を閉じて、アパートへ向かう。「グループホーム」と名は付いているけれど、実際に借りるのは賃貸アパートの小さな一室で、一人暮らしとほとんど変わらない。
部屋を内見すると、猫の額くらいのスペースにベッドと机が置いてある。どれくらいの狭さかというと、僕が大学生のときにはじめて借りた6畳のアパートよりも狭い。
四畳半神話体系という森見登美彦の有名な作品があるけれど、実際の四畳半を見ると、ここで暮らせるだろうかという疑念が浮かぶ。
けれど、僕に他の選択肢はない。暮らせるだろうか、ではなく、暮らすしかないのだ。眠ることのできる部屋を用意して貰っただけで、ありがたいと思わなくてはいけない。
僕には病気があって、一般賃貸でまともな物件は借りられない。そういう病があることを明かせば、ほとんどの審査に通らなくなる。
二十で病棟に入ったときから分かっていた。僕は誰とも家族にはなれないし、ひとりで生きて、ひとりでものを書いて、それでおしまい。最初から決まっているんだと思った。
目の前をベビーカーで押して歩く家族も、手を繋いで歩くカップルも、友達同士で楽しそうに会話をして歩くことも、僕にはまったく縁のない世界の話だった。ものを書くにはひとりの方が都合がいいことも、みんな知っていた。
僕が話したいのは、そういう寂しさがいったいどういうものかきちんと分かっているやつだけだった。
朝起きても隣には誰もいないままで、どの街に行っても自分の街じゃないような気がする、生きているあいだじゅう、どこにも希望は見つけられない、起きているときよりも眠っているときの方がよく、川を渡るときは橋の上を渡りきれるかなと思い、ベルトの輪っかを見つめて夜を過ごす、路上を歩けば人に笑われ、明日にはこの街からいなくなる、話すことなんてなにもない、つめたい夜のフローリングに横たわる。
そんな寂しさを知っているやつにしか、自分の腹からを話すねうちはないような気がする。
グループホームのアパートはそのまま申し込むことに決めた。僕は何があっても生き延びてものを書く。サリンジャーは戦場でタイプライターを抱えて書いた。それに比べれば、どんなことも大したことじゃない。
どの街で暮らしたって、僕がやることは十年前から決まっている。病棟の中で僕のそばには誰もいなかった。あったのはノートとペンと文庫本だけだった。人の手がそこになかったから、僕は代わりにペンを握った。だからこれはみな、僕が選んだことだ。
文学賞だとか小説家になれるかどうかとか、そんなことはどうでもいい。その人がその人生で書かなくちゃいけないものを書いたら、それで十分だから。
2024/05/17 22:50
kazuma